Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

Twitterによってめちゃくちゃ生きやすくなった話

テレビをあまり見ない

もともとあまりテレビを見ない人間だったようだ。

会社から帰って、テレビを見て時間が過ぎてしまうのが耐えられず、20代半ばくらいにテレビを姿見の後ろに置いた(スペースの問題もある)。

録画したドラマを見るときだけ、姿見を外してテレビを見る。

その後、どこかのクールでドラマのチェックを忘れてしまい、そのままテレビを見なくなる。

 

冬のソナタがはやっているときに、ペ・ヨンジュンという名前すら全然知らなくて、おそらく数ヶ月後に名前を知ってみんなに驚かれた。さらには名前を知ってから顔を知るまでに何ヶ月もかかった。

 

でも、すごく重要なニュースなどは、会社や友だちが話題にする。それでこと足りるだろうと思っていた。……世捨て人?

 

雑誌は好きだったので、読んでいたと思う。本も読んでいた。とにかく速報性の高いニュースとか、流行り物に価値を感じなかった。

人とあまり会わない

会社員の頃はそれでもよかったんだろうけど、ライターになって日常的に人と会うことがなくなった。

打ち合わせや取材で会うとしても、テレビの話なんかはあまりしない。

世間で何が話題なのか、何がニュースになっているのか、どんな俳優さんが人気なのか、全然わからない。

ただ、夫がテレビ好きなので、付き合って見ているうちに少しずつわかるようにはなってきた。でもドラマ・バラエティ中心なので、ニュースなどはやっぱりよくわからない。

 

(ちなみに、企画を出す媒体を担当していたときなどは、日経新聞とか日経MJとか購読して頑張ってネタ拾いしていたけれど、そういう必要がなくなると途端にやらない。ダメ社会人)

Twitterが解決してくれた

そこへ来て、Twitter

Twitterは見るのが苦じゃない(ニュースサイトなどは割と「苦」の部類)。というか楽しい。そこで流行っていることとか、問題視されていることとかが自動的にわかる。(偏っているので注意は必要だけど)

友だちとの雑談のように、下らないことと大切なことがバラバラに流れてくる。気になったら深掘りできる。スルーもできる。

「これ、ネットで話題ですよね」と言えたり、その中で自分の考えを話せたりするのは、ぜんぶTwitterのおかげだ。気になる人しかフォローしていないのですごく偏っているとは思う。でも何となく世間が見渡せている感じがする。

テレビを見る人が減っているらしい

みんながテレビを見ていたときは、1人話題についていけないことが、本当に、ものすごく、頻繁にあった。

だけど今は、見ていない人も多いし、「誰でも当然知っているよね」という話題は少なくなりつつあるのではないかと思う。あるとしても、PPAPとか、ネットでキャッチできることなんじゃないかな。

だから、ものすごく、生きやすくなった。

 

Twitterさまさま。なくなったらどうやって生きていけばいいのだろう。(元に戻るだけか)

考えたら割と恥ずかしい人生だった

恥ずかしいことって人によって違うけど、できれば恥をかかずにいたいと思ってしまう。

例えば、私は小学生の時に児童委員会というのに立候補して、10人くらいの候補者のうち1人か2人しか落ちないのに落選してしまって(生意気すぎて上級生に嫌われていたらしい。後に不良になっていく先輩方に「結果が楽しみだなー」って笑いながら言われたから)、すごく恥ずかしかったし、もう出しゃばるのはやめよう、って思った。

※余談中の余談ですが、その時に当選した子から中学校へ進んだ後に何通かラブレターをもらって、落選したときに泣いていたのがきっかけだったような気がしている……。そういえば中学の時に告白してくれた男性も、私が職員室で体育の先生に泣かされていたのを見られたのがきっかけだったような……。ギャップ論?

 

先日、Facebookで下記のような投稿をした。

以下コピペ。

7月からコルクラボという勉強会(?)のようなものに参加しています。(マンガ編集者として有名な佐渡島さんのコルクという会社が主催しています)
https://lab.corkagency.com/about

そこで早くも教えてもらったのは「恥をかき慣れたほうがいい」ということ。1-2年ほど前から、短編を書いてみたり、「今日の140文字」を投下したり、ポッドキャストを始めてみたり、誰の役にも立たないブログをシェアしたりと、端から見たら恥ずかしげもなさそうにいろいろな活動をしていますが、全部最初はめっちゃくちゃ恥ずかしかった!!(実は今も恥ずかしい)

今回もさらにカッコ悪くて恥ずかしい試みとして、長編小説のプロットを書いてみました。で、コルクラボで開催している「覆面編集者大賞」(https://note.mu/henshu_ckr/n/n6436d1c129c4)に応募します。

下記のツイッターで紹介しているので、Twitterのアカウントがある方は、ちょっと読んでみて、もし「栃尾さんのこと、応援してもいいかな」と思ったらリツイートをしていただけると嬉しいです。(リツイート数が評価に加味されるので)

で、出版その他に興味がある方は、一緒に応募してみませんか? 実用書部門もあるので、創作でなくてもOK。ライター仲間の皆さんもぜひに♪

https://twitter.com/maliu63/status/896008351531782144

 今まで恥ずかしいことができていなくて、今ようやく勇気を出してやります! みたいな顔をしているけれど、よくよく考えてみたらそれなりに有名な会社から、年収だだ落ちで文章を書く仕事に転職したのも、たぶん相当恥ずかしいことだったんだと思う。

クリエイティブな仕事やライターやってる人たちからすると、その感覚はわからないかもしれないけれど、普通の技術っぽいサラリーマンが「クリエイティブ職に就きたい!」って言うのってたぶん相当恥ずかしいし、何夢見てんだよみたいな感じだし、「文章を書いて暮らしたい」なんて「はーそうですか」って感じだと思うんだよね。「女優になる!」とか「アイドルになる!」みたいな……? 

少なくとも私はそんな風に思われると思っていたし、実際、そんな風に言われたり空気を感じたりしたことは多かった。でも、人生をかけて恥をかきに、ドーン、と飛び込んでしまったわけです。でも、いきなりフリーランスになるよりは、会社(編プロ)に入ったので仕事もお金も入ってくるし、それほどリスキーではなかった。だから恥ずかしい思いが多少は少なくて済んだんだと思う。

 

何が言いたいかというと「恥ずかしいことを避けてきた自分バカ!」みたいに先日は思っていたけれど、けっこうちゃんと、恥をかいて頑張ってきたじゃないか、と思ったわけです。プライドを捨てて、できないことをゼロから頑張って、できるようになって。

いろいろなことがなかなか広がらなくてモヤってるけど、それでも諦めたりせず恥ずかしい姿を見せながら少しずつ前に進んでいる。

「意外といいんじゃないの? でかした自分」と思ったって話でした。

私の方が熱くなっている、という状況を楽しめるか

「自分の方が、相手や他の人より熱量が勝る」っていう状況を楽しめたり、なんともないと思える人は強い。

私はいつも、自分ばかり熱くなってしまうことを怖がるし、そのことに傷ついてしまう。

だから、誰かよりも少し控えめにするし、誰かよりも前に出ないようにする。あるいは、熱くなっていないフリをする。

そんな風に行動を決めているのは本当につまらないと思うけど、どうしてこうなってしまったんだろう。

 

いろいろ考えているんだけど、私が本来の資質に反して「やめておこう」と思ってることって、過去に傷ついたことに由来している。

傷の深さとか痛さとかは人と比べられないんだけど、たぶん人より痛いんだと思う。

だから、どうしても避けようとしてしまうのだ。

 

ただ、若いころより柔くはないと思うし(治癒力が落ちてる可能性はあるけどw)、もう一度傷ついてみてから検証してもいいかもね。

美容法でもあるんだけど、古傷(ニキビ跡とか)をもう一度傷つけると、肌が再生するときにきれいになったりするから。