Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

強みに「感受性」を入れられるといいんだけど

コルクラボに入ってすぐ、

3つの強みを掛け合わせよう。そのためのあなたの3つの強みを教えて? というような質問(課題)があり、以下の3つを書いた。


1.ライティング力(単なる経験、技術です。インタビュー力含む)
2.小説などを書く感性(これはもっと鍛えなくてはなりません)、本質や普遍を好む性質
3.IT知識、プログラミングの経験、システム屋の経験

 

2は書くのにすごく勇気がいった。

だって「感性」って自分で言うようなものじゃないと思うし、客観的に測りようがないから。

 

だけどコルクラボでは「2」のところをほめてもらうことが多い気がする。

あと、情熱とか心の部分。ほかには、実行力とか?

 

そして「今日の140文字」でも、そんな感想をいただくことが多い。

note.mu

 

安田さんにもらったこのフォーマットはとても私に合っていて、本当によかった。

140文字を、こころで受け止めてくれる人がいて、何人かはそれを私に教えてくれる。

 

それから、コルクラボの人たちは、私がこれまで理解されてこなかった部分を見つけてくれて、しかも、「ここにあったよ!」って吹聴してくれる。なんなんだろうねあれは。

 

私の中で、3つの強みのうち一番自信がなかった「2」は、ここのところじわじわと自信を付けてきている。

感性というより、感受性なのかな。

もっと言うと、「心の状態をより繊細に観察する能力」という感じが近いのかもしれない。

 

今度は、それがちゃんと形になるようにしていきたいなって思う。

2017年を雑に振り返る

2017年、振り返るの難しそうだけどトライしてみる。

なんとなく、時系列で。

週に1回くらい、子どもの「お迎え」をパパにお願いする

昨年まで、ほぼすべてのお迎え~寝かしつけ、をやっていたのだけど、

週に1回くらい夕方以降の仕事が入るようになり、そこを夫に頼むようになった。

今年の後半には、週に2回くらい入ることもザラになった。

夫としては大変なんだと思うんだけど、なんとなく、夫婦として一歩前進したような気がするのは私だけなのかしら。

キャリアインタビューがぐぐっと前進&インタビューの仕事多数

Cafeglobeという媒体でキャリアインタビューをやらせていただいていて、

媒体として、より力を入れてくださるようになり、すごく素敵な方にインタビューさせていただいている。本当に、ありがたいことです。

その他、メインの仕事がほぼインタビューになり、とても快適で、幸せ。

らしさオンラインも「あの媒体いいね」と何人もの人に言われて嬉しい。

仕事はTumblrにまとめている。

emitochio.tumblr.com

インタビューを小説仕立てにする仕事を手がける

会社の創業ヒストリー的なインタビューを、小説仕立てにするという仕事を2件。

どちらも全然違うスタイルで書いた。

「一人称の一話完結型」「三人称のストーリー仕立て」

どちらもよい感想をいただけて、本当に嬉しい限り。

インタビュー原稿とはまったく違う筋肉を使う。趣味で書いていた短編小説が生きる。

書く前は先が見えなくて、面白くなるのかどうかとても不安。伏線やよい展開が思いつくのか、という不安。

だけど「絶対に思いつくはず」と自分を信じる。

そして書いている間、とっても幸せなのだ。

もっとこの仕事を増やしたい。

ICT教育の分野をいくつか手がける

ICT教育の分野を少しずつ仕事で始めていて、マーケットとしては大きいということがわかる。ただ、ICTに寄りすぎると興味が湧かない。「子どもの成長のために」という普遍的なテーマに近いほど、興味が湧く。バランスが難しい。

ポッドキャストの相方が変わる

「クリエイティブの反対語」の相方が変わった。

これは、なんというか、いろんな経験を含んでいる。

これだけ毎回深いことを話していて、ネタが切れなくて、ずっと話しているっていうのはすごいこと。

こういう話(抽象的な対話)がどんだけ好きなんだ! を再確認した。

コルクラボに入る

これは、これだけで1エントリーになるくらい、1エントリーでも書ききれないくらいにいろいろなことがあるんだけど、ひとまず箇条書きにしてみる。

・自分のコメントが、人を安心させることに繋がると知った

・好きなことに熱中すると、人が付いてきてくれると知った(周りの意見を伺っていても付いてきてくれない)

・私は人が好きなのだと知った

・いろんな人が、私のよいところを教えてくれた(余りある褒め言葉にびっくりするばかり)

・自分をさらけ出すことが、誰かのためになると知った

・自分に自信が付いてきた

・自分が変わってきた(どう変わったか、は自分で言葉にするのは難しいし恥ずかしいのでうまく書けない)

「コルクラボの温度」配信スタート

もう1個、ポッドキャストを始めてしまった。

誰かと進める、って面白いし、コツがいる。

「わかりあう」というキーワードをゲット

これはまあいわゆる世紀の大発見。ここに書いたね。

emitochio.hatenablog.com

バレーボール始める

ママさんバレー始めた。スポーツすなわち青春エッセンスの濃いもので人と繋がる。とても楽しい。甘酸っぱい。

矛盾を持ったまま生きていい

今年の半ば、矛盾をどう扱うべきなのか悩んでいた。

・得意と好き

・知性と感性

・現実とポエム

・ロジックと感情

・個と群

全部がわりと両端に触れているので、どうしたもんかなと。

だけどそれでいいし、それ「が」いいんだと、昨年、安田佳生さんに言われて、救われた。

とはいえやっぱりもやもやもやもやしていて、今年もTakram田川さんや、小倉ヒラクさんの発信するもので、勇気が出た。

田川さんからは「振り子のように行き来する。それを高速にしていけばいい」

小倉ヒラクさんからは「矛盾した状態がいちばん自分らしいのだ」

というメッセージ。

さらに、コルクラボで知り合った人たちが「そこがいい」と言ってくれた。

「ちゃんと繊細に生きているのに、ぐいっと前にも踏み出せる」とか、「クールだけど、エモい」とかね(書いてて恥ずかしいわ!)。

 

でもこの両端に振れるのが、ロジカルにインタビューしながら、感情にも訴える小説風の文章を書く、という仕事に繋がるんじゃないかなと思っている。

 

こんな雑なまとめだけど。ないよりましということで!! 

私にとっての物語の意味とは

「わかりあいたい」というキーワードを手に入れた私にとっての「物語の意味」を考えてみたい。

 

ひとことで言ってしまうと「感情」だ。それをつまびらかにするための、物語。

そう言うと、もしかしたら簡単すぎるかもしれない。でも「わかりあいたい」私にとっては、切実なものだ。

物語は、文脈と言い換えてもいい。長い長い文脈。

 

文脈を知らないと、感情をわかりあえない

例えば、道端で犬がぐったりと横たわっていたとする。生きているのか死んでいるのかわからない。

それを見た誰かの感情をわかろうと思ったら、文脈から語らなくてはいけない。

 

・子どものころから犬を飼っている

・おばあちゃんが犬を飼っていた

・犬を飼ったことがない

 

それぞれの人で、湧き上がる感情はまったく違う。そして、それを言い表す適切な言葉は用意されていない。

子どものころから犬を飼っている人の中でも、

 

・今飼っている犬は若くて元気

・最近犬の体調が悪く、そろそろ寿命かもしれない

・つい先日、長年飼っていた犬を亡くした

 

のそれぞれで、まったく違う。感情はすべて、異なる形で、異なる光り方をしているのだ。

それをできるだけ、解像度高く、わかりたい。わかりあいたい。

それを的確にわかりあうためには、長い長い文脈が必要だ。

感じている人と、犬と、それにまつわるさまざまなひとやこと。

関係性やそれまでの思い、環境や、体験、トラブル、もろもろ。

それをできるだけ精密に伝えるために、物語はある。

少なくとも私にとって、その部分が大きな意味であることは確か。

 

まだ言葉にされていない気持ちの数々

『翻訳できない世界のことば』という本がある。

 世界には、その文化でしか大事にされない感情や状態、ものやことがある。

 言葉のあるものがすべてではないのだ。当たり前だけど。

 

例えばこれ。

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あんなに好きだったのに、なんだか冷めてしまって、もうあのキラキラした感情には戻れない。そんな気持ちに名前を付けている国があるのだ。

 

私は、本を読んだりしたときに感じる、何とも言えない気持ちがある。

それは日本語で言い表せないから、この本に載っていたらいいな、と思った。

だけど、見つからなかった。世界中のどこにもないのかもしれない。

だからそれを表したいなら、物語を紡ぎ、言葉を尽くすしかない。