Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

夢組としての夢の変遷

※これ、コルクラボのnoteのマガジンに書こうと思ったんだけど、書いているうちにどんどん内側にこもってきたので、こちらに書くことにした。ここ(はてなブログ)は私が思う存分いじけられる巣である。

 

私は完全なる「夢組」だ。
(※わからない人は下記を参照)

note.mu

自分のことばかり考えてしまうし、自分のやりたいことをやれることが人生をハッピーにすると思っている。周囲の人を幸せにできたらもちろん幸せだし予想外の喜びをもらうけれど、「人のために」を一番のモチベーションとして動けない。それはもう、人でなしのような気がするけれど、意思の力では変えられない。

そんな私が所属している「コルクラボ」というコミュニティ(コミュニティを実践から学ぶコミュニティ)で、毎週お題が出ている。クローズドな掲示板で、みんなで自分のことをさらけ出すのだ。

先週は

「あなたの夢はどう変化してきましたか?」

というもの。

「夢」なんて、そんなに簡単に話せるわけないじゃない? 私にとっては、心の奥底にしまってある柔らかい宝物で、むやみに空気に触れさせたら大変なことになるかもしれない。誰にも言わず、大事にしてきたのに、どうしてそんなにスパッと聞けるのでしょう? みんなそんなに普通に言えるわけ??

……なんて、3年前の私なら思いそうだけど、私はもう、言うことにしたので大丈夫。(本当の夢はやっぱり言えないかもしれないけど)書いてみた。下記は、掲示板の内容に少し手を入れた。

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「戦隊モノのピンク役」
保育園のとき、短冊に書いたら先生に笑われて、今も覚えているということはすごくショックだったんだと思う。この辺りからもう私の「恥」の歴史が始まっている。(夢は絶対人に話さない。話したら鼻で笑われて傷つくのが目に見えている)

「小説家」
小さいころから、物語を書いていた。折に触れてはときどき、いろいろな物語を書く。詩も書くし、イラストも添える。エッセイストとか、詩人とかにもなりたかった。文章で作品を作る人。でも誰にも言ったことはないし。書いていたものを見せたこともない。知らないうちに父に見られて「よく書けてるじゃん」と言われたけど恥ずかしかったことしか覚えていない。

「実業団のバレー選手」
バレーボールにハマって、選手になりたいと思ったこともあった。ただ、背が伸びないと分かったのであきらめムード。

「中学校の教師をしながらバレー部の顧問」
選手になれないなら、監督にはなれるだろう。それで全国優勝したい。そう思った。

「小説家」ふたたび
高校は特になくて大学で「小説家」が再燃。村上春樹を何冊か読んで、「うーむ、私は小説家になりたいのだな……」と思った。だけど誰にも言えない。
まずは生活をなんとかしなくてはいけないので、東京へ出てきた会社員になる。会社員をしながら新人賞みたいなものに投稿すればいいと思った。でも、長編を書きあげたことはなかった。

「書く仕事」
小説家になりたいなんて恐れ多いから、どうにかして書く仕事に就きたいと思った。小説家になれなくても文章で食べていける、編集者やライターという職業があることも知った。ライターを目指し、ライターにはなれた。

「創作をし続ける人」
創作を、やっぱりしたい。小説だよなあ、やっぱり。創作をしてお金をもらって、生活していきたい。私はクリエイターより、アーティストになりたい。それは内側から来るもので、もう仕方ないんだと思う。そういう気質だから。ただやはり、お金を稼ぐ手法としては、クリエイターになるしかないのかもしれない。

「インタビュー小説家」※今の折衷案
私はプロットを考えるのが苦手。ロジカルに考えることはできるけど、全然ワクワクしない。ドラマティックな展開を自分で妄想できるタイプではないのだ。映画を見てもそうなんだけど、ストーリーはいわばなんでもいい。だから、もらうことにした。
そこで人と相談して考えたのが創業などのストーリーをインタビューして短めの小説(実話を基にしたフィクション)として書き、本にして納品するという商品。これは採用とか、社員の会社愛の醸成などに使ってもらう。
数件やってみたんだけどクライアントにすごく喜んでもらえて、さらに「外部向けに売りたい」と言ってくださっているので、広げていきたいと思っているところ。
とにかく書いている時の自由度が高くてすごく楽しい。出来上がったものに対しても自分とクライアントの満足度が高い。こちらがメインの仕事になって潤沢に稼げるようになれば、夢にまた近づくかもしれない。

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コルクラボの掲示板に書いたことに少し手を入れてみて、私はコルクラボですら「納得できている自分」を演じているのだなあということがわかった。「納得できている風」の文章を書いてしまっていたからね。でもそれが分人なんだよね。

本当は、現状に納得なんてできていない。自分のキャリアにも納得していない。いつも、もやもやしている。矛盾に苦しんで妥協して、それでもあきらめきれなくて、ゆらゆらしている。

どうしてここなら少し素直になれるのか? はよくわからない。「きっと誰も読まない」と思っているのかな。読む人を想像していないのかもしれない。掲示板は読まれるのを意識して書くけど、ブログは私にとってひとりごとだ(そういう態度じゃいけないとは思うんだけど、そうなってしまう)。

私は暗くて真面目なのだよね。もっと陽気になろう。

体に新たな概念を形作ることはものすごく気持ちがいい

ルートの話、したことあったかな。

あったあった(リンクは記事の最後に)。

 

中学校でルートが出てきたころのことをよく覚えている。

日常生活に置き換えようと思っても、うまくできない。

これは、新たに獲得しなくてはいけない概念なんだと、強く感じた。(当時はもちろん言語化はできていない)

これを獲得しなくては、授業に後れを取ってしまうという危機感もあったのかもしれない。

とにかく計算をして、慣れて、ルートを見た瞬間に「こういうことね」とわかる必要があった。

 

今でもその感覚は続いている。

私の場合、事実や情報を得ただけではすぐに忘れてしまうし、活用することができない。

たくさんそれに慣れて、右や左や上や下から見つめて、その概念が体の中に構築されてから、ようやく活用できるようになる。

 

新しい概念が自分の中にできるときはめちゃくちゃ気持ちがいい。

よく「知的好奇心が強い」と言う人がいる。私もそれなりにあると思うけど、それよりはこちらの欲求のほうが強い。

新しい概念を、体の中に作りたい。

 

体験からは、割とすぐに概念が構築される。

そう思うと、体験とは恐ろしい情報量なのだ。

言葉を通して知ることよりも、情報量で圧倒的に勝る。

概念を作るだけの量が揃うんだね。

 

教養を身に着けたいのも、抽象概念が欲しいからなんだと思う。

「教養」という世界には、私の知らない概念が驚くほど詰まっているはずなのだ。

でも、その抽象概念に到達するためには、具象(具体?)の森を抜けていかなくてはいけない。

それがどうもうまくいかないし、立ち止まって、引き返してしまう。

 

でもやはり私は、抽象概念を獲得したいという思いで、情報をインプットしているような気がする。

数学や物理を頑張ったのも、体に抽象概念をインストールできるからなんじゃないか。

子どもが算数の文章題をやっていて「好きだったなあ」と思いだした。

公式ではなく、概念がまるっと使えるからではないだろうか。

 

ツイッターでそんなことを書いてふと。

私の「抽象概念を獲得したい」という思いは、「わかりあいたい」にかなり近い。

相手は知らない人かもしれないけど、過去、その概念を体に作り出した人と、同じものを持っている。その喜び。

 

なんというか、気持ち悪いような気もしてきたけど、

抽象概念を獲得するという、目指す目標ができたのだから、

その大きな喜びに向かっているとわかれば、具象だらけの苦手な勉強もできるかもしれない。

 

また新たな発見をしてしまった(私だけが感動している)。

 

※ルートの話

emitochio.hatenablog.com

落胆したくないから、期待したくない

期待が叶わないこと、あるよね。

 

ほんとにしょうもない例を出すと、

「今週土曜日空いてたら遊ぼ!」と聞いたとき、

「あ、予定ある」とかだってもう、叶わなかったってことになる。

「んーまだわかんない」とかだともう、最悪! 「暇だったら遊んでもいいよ」感!

 

だけど私は知っている。

そういう時はきっと、「ダメ元」で誘えばいいのだ。「ダメでもともと」だと思えばいいのだ。期待しないってそういうことだと思う。期待しなければ、落胆はない。

 

だけど、仲良くなってくるとつい期待してしまう。相手も私と話したいんじゃない? と思ってしまう。仲良くなる間に、こんなステップを踏む。

 

ダメもとでオファーする(期待値1くらい)

OKだよ!ってなる(期待値1がかなえられてなぜか膨らむ)

別の機会にオファーする(期待値2くらい)

OKだよ!ってなる(また膨らむ)

また別のことでオファーする(期待値3くらいになってる)

断られる(落胆6くらい。なぜか倍!)

 

いつの間にか期待していた、なぜ期待するのだ、期待しなければよかった……と落胆する。

いつだって、落胆するのは期待した結果なのだ。期待さえしなければ落胆を避けられたのに! そんな風に思ってしまい。

 

でもまったく期待しないの難しいし、できたとしてもそれはそれで寂しいし、期待に応えてもらえた時の喜びはひとしおだし。

 

落胆しても、また上がってこれるようにするのが一番いいのかな。

求ム! 最適解!