Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

愛されたい猫

仲の良い女の子(10歳くらい年下)が少し前に結婚して、話を聞いたら旦那さんのことがずっと好きで、自分からアプローチしていったんだと言っていた。

それはそんなに激しくなくて、ゆるやかなアプローチだったようだけど、自分から取りに行ったんだと、驚いた。

 

私はずっと受け身で、「相手の方が私より少し想いが強い」という実感がないと、一緒にいられない。だからなのか、基本的には相手から言ってくれた人としか付き合ったことがない。(私からアプローチしてうまくいったことがないということなんだけど)。

おそらく私の中に愛が足りていなくて(貯蓄できていなくて)、一時でも収支がマイナスになると立ち行かなくなってしまうのだ。少なくとも、そう思っているんじゃないかな。

付き合っていくうえで、当然想いのバランスは変わっていく。それで私の方が強くなってしまうと、どうにかしてコントロールする。そのことにただただ一生懸命だった。

たぶんこの辺りが「放り投げている」っていうことなんだと思う。

(↓過去記事参考)

なにごとも放り投げずに生きよ - Low Kick - 2nd -

 

その子が自分の方が思いが強くても何の恐れもなくいることについて、すごく驚いたし、うらやましかった。

 

で、犬は愛したい、猫は愛されたいんだってツイッターで見た。私、完全に猫だな……。

人前で泣いたらどうなったか

先日、「人前で泣いたほうがいい」と言われた。

 

emitochio.hatenablog.com

それはみんなの前でとかそういう意味でなく、信頼できる人に心を開こうとして、涙がこぼれそうになったら、それを押さえずに心を開いたほうがいいということ。

これは私が私を取り戻すための修業であるし、リハビリなのだと。

 

リハビリの経緯

最初は、「人前で泣いたほうがいい」と言ってくれたその人の前で。「泣いてしまっても話そう」と決めていたから、話せた。

 

次に、4人くらいのグループで、泣きそうになりながら(少し顔がゆがむ程度)話したけれど、受け止めてもらえなかった気がした。これはまあ仕方ない。そういうこともあるかな。4人っていうのがよくなかったのかな。

 

次は、1対1でパンの美味しいお店で、サンドイッチを食べながら話した。少しだけ涙ぐみながら。その人は、しんみりと聞いてくれた。相手の言葉は多くはないけれど、じっくりと心に落としてくれた。

 

次に、1対1で話した。たくさん話して、たくさん泣いた。「話してくれて嬉しい」と言ってくれた。私の心がどうすればもっと解けていくのか考えてくれた。本も勧めてくれた。

 

次も1対1で話した。少し泣いた。とても優しく受け止めてくれたけど、その人は私に対して少し壁があったようだ。お互いが心を開けるようになりたい。

 

何十年越しのリハビリなのか

小学校低学年のときに、涙をこらえる術を覚えた。泣くとバカにされる、泣くと怒られる、泣くと感情がばれる、それを避けたいから泣かないようにする方法を覚えた。

泣きそうになったらそれ以上話さない。平気なふりをする。

どうすれば平気なふりができるか。そうだ、表情を固めればいい。表情筋を動かすと震えてしまうからばれる。だから固めるしかない。

そうやってずっと、生きてきた。

 

その時に固まってしまったものを、今ほぐしている。リハビリしている。何十年越しだろう。

 

人前で泣くようにした私に何が起こったか、少なくともその人を通して、世界とつながった気がした。地に足が付いた気がした。たとえよろけても、足場がある。そう思った。みんなはこうして足場を作っているのか。ずっと知らなかった。

 

だけど周りを見てみる。みんな、人前で泣かない。ほとんどの人がその場で正直な感情を出さずに取り繕って生きているように見える。

その人たちは、一生そのまま生きていくのだろうか?

そんなことはないのかな? 今まで私に見せてくれる人がいなかっただけ?

そうなのかもしれない。

それは、私が心を開いていなかったから。

お菓子を渡す人になる

前のエントリーの続き。
「なにごとも放り投げてしまう」というのはすごくわかる。自分でも非常に自覚がある。
だけど、それをどうやって直していけばいいのか。


まず、愛がないとだめだ。ちゃんと置きにいく筋力がないと。
だけど、いま君は愛が足りてないから、ためなくちゃいけない。
「そうだなあ」
その人はしばらく考えて
「そうだ、手土産!」
食べものを、会う人会う人に渡せばいい。
しかも、自分が美味しいと思うやつ。
「『好きに食べて〜』って置いておくんじゃなく、『食べて』って渡すんだよ」
その「食べて」の言い方が面白くて、私は何度もゲラゲラ笑った。
「修行だからね、これは」
と何度も言われた。


お菓子を配り始めると、いろんなことがわかった。
そもそも私は、お土産を渡すのも苦手だった。
照れがあるし、一人一人に配って断られたら嫌だし、嬉しくないと思われたら嫌だ。
でもそれが、放り投げているってことだった。だから一人一人に置きに行く。
それはリハビリ。
簡単にできるようになったら、言葉でもいいんだから、とその人は言った。