Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

「書きたい理由」はうつろいゆくのか

どうやってそんなにアウトプットしているのかと言われる。

何のために書いているのかはあまり聞かれない。(明確なのか?)

私は好きだから書いている。私の癒しであり楽しみである。

子どもの頃から文章を書いてきたけど、「書く」「読む」「伝える」「届ける」みたいな心持ちが少しずつ変わってきたのかもしれないと思う。

 

少女期:秘密の出来事を残しておきたい

絵本とか、短い物語なんかは小さなころから書いていた気がするけれど、ちゃんと日記を書き始めたのは小学校5年生くらいからだと思う。同級生の男子を好きになり、その人のことをつらつらと書いていた。好きだけど、この思いがどこへ行くのかわからなかった。小学生で付き合うとか聞いたことないし、両想いかなって思うこともあるけどだからどうしたというのだ。的な。

ずっとそのことを考えていて、思いが溢れすぎてどこかへ出さないといられなかったんだと思う。ずっと考えていることに浸りたいから、書く。たぶんそんな感じ。でも記憶って変わるからどうなのかわからないけれど。

それは中学生まで続く。中1の時に先輩のことをつづった日記は結構続いていたと思う。普段、話ができない先輩なので、小さなひとつひとつの出来事がとても大事になる。

学生期:自分を癒し、世界に浸る

高校生くらいになると、いろいろと、小説や漫画を読み始めたりする。高校が女子校だったのもあり、好きな人の話よりは、ちょっとした心の機微みたいなものをポエムにしたりすることが増える。雑誌も好きだったので、写真を切り抜いてそれっぽいことを描いたりとか。確か。

日常とは違う世界に浸れるのが自分の机の上であり小説やノートの中だった。ひとりの時間に、ひとりの世界に浸る。そんなために書いたり読んだりしていたと思う。

大学生になると、また「ときめき」の日記が増える。彼氏と一緒の時間が増えると一人の時間が減り日記が減る。寂しさを埋めるために書くみたいなこともあったのかもしれない。

 

独身前期:手紙やホームページで誰かに伝えたい

時を経て社会人。私は群馬から東京へ移り住む。日記は同じく書いていたりした。ただ、手紙も大量に書いた時期があった。大学の時に一番仲の良かった友だちが北海道に住んでおり、その子に週に何通も手紙を書いていた時期がある。相手も返信をくれていた。あれは何だったのだろう。

パソコンを手に入れて最初にしたのはホームページを作ったこと。デザインを考えて、昭和的テレビのチャンネルを回すみたいなインタフェースを作った。周囲の人にははずかしいけれど、インターネットの中の誰かに読んでほしかったトイカメラLOMOで撮影した写真や、毎日のお弁当、感じたことの散文みたいなものをアップしていた。ときどき「とても響いたよ」というメールを友人がくれたりもした。

 

独身後期:ブログで感情を残すために書く

ブログサービスが始まった。そこでも細々と書いた。少しずつ、誰かよりも自分に書くようになった。例えば、田中さんを「Tカさん」と、自分だけにしかわからない暗号のようにして書く。本当は実名を書きたいけどそうもいかないから、でも書かないと忘れてしまうかもしれないから、自分にわかるように書こうと。

あとから自分で読むというより、その時の感情が消えないうちにどこかへ残しておくことが目的だった。

 

アラサー期:ブログで自分が読むために書く

結婚したころとかかな。どこか淡々と記録だけを書いていたけれど、ちょっと自分が思ったことを書くようにしてみた。それにはとても勇気がいったように思う。こんなこと書いていいのだろうか。恥ずかしい、というような気持ち。

あとから読むとそれがとても面白かった。ただ単に出来事を書くより、考えを書いた方が読みがいがある。私は、自分が読むために書くようになった。未来の自分が面白く感じるために。それは長らく続く。感情よりも、思考を書くことも増えた。自分の価値観が変わったり、新しい考え方を手に入れたり、もやっとしたものをつかみたいと思った時などに、書いてそのことを露わにすることが多かった。

寂しくて仕方がない時にも書く。嫌なことがあったときは、その人が特定できてしまうから書かない。どうしてもの場合は、自分だけの日記に書く。

 

アラフォー期:誰かに届けるために書く

最近になり。Twitterの「今日の140文字」のほうがより顕著だけれど、誰かに届けたいと思って書くようになった。それは、その思いを伝えたいというよりも、その人とつながるため。つながるために、思いが必要なのだ。

あなたの手と私の手、握手するととても気持ちがいいね。だったら、このままつないでいましょうか。手をつないでいると、いろいろと、じんわりと、伝わるものがあるよね。そんな感じ。

伝えるのではなく、届ける。なぜ届けるのかと言えば、その人とつながるため。そんな風に書くようになった。つないだ手も、温度がないと離れてしまうから、書き続ける。手を放さないでね。そんな感じ。フォローってそういうことだよね。

 

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これを書くためのメモ:

小学生:好きな人のことを綴る。できごとを忘れたくない。
中学生:好きな人のことを綴る。できごとを忘れたくない。

高校生:友だちのことを綴る。書くことによる癒し。自分の世界に浸りたい。
大学生:好きな人のことを綴る。半同棲のときはひとりの時間がなくて書けない。

20代:できごとを忘れたくない。手紙でやたらと綴る。気持ちを吐き出したい。書くことによる癒し。小説を少し書く。
Lomokick HP:誰かに読んでほしい。感性を感じてほしい。少し伝わる。
ブログ lomokick:日々の記録。忘れたくない。心の整理。心の動き。
ハワイブログ:忘れたくない。自分のためと、ハワイ好きな人のため。
ブログ low kick 初期:できごと、感じたことを忘れたくない

ブログ low kick 後期:後で読み返す自分のため。考えを残しておくと面白い。
ブログ low kick 2nd:後で読み返すため。誰かに見てもらうため。

Twitter 140文字:自分の考えをまとめる。誰かに見つけてもらう。
noteとTwitter:誰かに刺さる。見つけてもらう。わかってくれる人がいる。私と共鳴する人がいる。見つけて声をかけてくれたら、その人も書いている人ならすぐにわかる。​

コラムのお仕事が来た♪

これまでIT系の記事をやっていたことや、Twitterやブログで発信をしていたことで、コラムのお仕事をいただいた! すごい。

 

「インターネットx偏愛」をテーマに書いてほしいということで、私は超ラブなTwitterについて書いた(音声と迷ったけどw)。

flets.hikakunet.jp

今となってはわざわざ話すことではないけれど、iPhoneが日本に上陸した当初から数世代は発売日に必ず手に入れていたほどで、初号機からトイレにiPhoneを持って行ってしまうほどラブだったわ(変態すぎると言われた)。

 

多くの時間はTwinkle(詳しくは上記記事を参照)で過ごし、私はそのいとおしいモバイルデバイスを楽しんだ。

 

そのころと今では、Twitterの意味合いが少しずつ変わってきている。いま私にとってTwitterは、友人たちやフォロワーさんたちと楽しむ場所であるとともに、自分と似たにおいの人に「見つけてもらう」大切な場所になっている。

 

この記事のディレクターの方も、私を見つけてくださった。同じメディア内の他の記事とはずいぶん毛色が違うけど、担当の方は「栃尾さんの文章が好きで」と言ってくださった。

 

こういう機会はとてもうれしい。

直接的に仕事にならなくても自分(の感性や雰囲気)を出していきたいと思っていた過去の私が報われた気がしている。

誰かによりかかれるようになるまで

誰かによりかかることがずっとずっと苦手だった。それはもう、本当に子どもの頃から。

体が健康で、病気をすることがほぼなかったのも関係しているかもしれない。体が弱ったら、誰かに頼るしかない。それを体でわかっている人と、わかっていない人は、ずいぶん違う。だからなのか、誰かによりかかったという記憶があまりない。

例えば、つらい時に誰かに電話するとか、寂しい時に誰かを飲みに誘うとか、苦しいことや決断しづらいことを誰かに相談するとか……。

 

ちょうど1年前、なぜよりかかれないかを説明するブログ(4コマ漫画)を描いた。

emitochio.hatenablog.com

 

1年後の私、つまり今の私はどうなったかというと、寂しいとき誰かに連絡できるようになった。苦しいことを誰かに相談できるようにもなった。

それから、(これは問題視していなかったけど)人前で泣けるようになった。以前は、「泣きそうになることは話さない」という選択をしていた。これも、ずっとずっと前から。でもそれを続けていると、苦しいことが心の中にたまっていく。それが自分をこじらせているのだと知った。今はどうかというと、ある程度は泣けるようになった。

私の何が悪かったのか

昔の私は、やり方が悪かった。よりかかるのは急にできるものじゃない。少しずつ、よりかかるスキルを培っていかなくてはならない。

昔の私は、誰かに話す勇気がなくて、心にためていて、言い出す勇気がなかった。

それなのに、弱っているときにたまたま隣にいる人に、ふと話してしまう。平気なふりをして、冗談めいた口調で、話してしまうことがあった。たまたま隣にいる人は、たまたま隣にいただけで、信頼関係ができていなかったり、その話題にふさわしくなかったり、タイミングが悪かったりする。

そうすると、心ない言葉を言われたり、大したことないと思われたり、受け止めてもらえなかったり、そのまま自分の話題にすり替えられたりする。

相手のそんな返答に、傷ついてしまった私は「もう話すまい」と思う。よりかかろうとしても、よりかからせてくれなかったという経験を何度もしてしまう。

まず、受け入れられる経験をした

でも、今私はよりかかれるようになった。そのためにどんなステップを踏んできたのか。

まず、コミュニティで、受け入れられる経験をした。自分のことを話して、ただ受け止めてもらったり、よいリアクションをもらったりした。頑張って何かの役に立たなくても、優しくしてもらえたり、温かくしてもらえるという経験をした。

また、ジュクジュクした思いも、人に話すことでカラッとして大した問題ではなくなっていくと教わったし、自分でもいくつかそれを経験した。

また、他の人が「信頼できる人に話す」という選択をしていると知った。気が付かない私があほだったとしか思えない。

次に、話してみた

たまたま偶然、困りごとを聞いてくれるという人がいた。ただそこで「聞いてほしいなら聞くよ」という言葉に飛び込んで行けたのは、コミュニティで受け入れられた積み重ねがあったから。

辛いことを話して、受け入れてもらって、たくさん泣いた。というか、話す前から泣いていた。私は何をそこまで抱えていたのだろうか。

「聞いてくれそうな人に、たくさん話したほうがいいよ」「それじゃ、泣いちゃうんですけど」「泣いた方がいいよ」「そこまでして、(話題を)流されたら傷つくんですけど」「そしたら『傷ついた』って俺に言えばいいじゃない」

そこから、信頼できる人、受け入れてくれそうな人、好きな人に、話すようになった。そうしたら、心は少しずつ軽くなった。何かをふるいにかけているみたいに「これが問題だったんだ」とわかるようになった。

必要に応じて、相談できるようになった

ふるいにかけたら、いくつかの大きな塊が残った。今まで気づいていたこと、隠れていたもの、いろいろ。新しい塊も生まれたりしたけど。

それをいろんな人に、相談できるようになった。

信頼できる人を選び、「よりかかりたい」という意思を見せて、よりかかる。

書いてみると、ただそれだけなんだけど、そんなことが、とてもとても難しかった。

「答えを教えてほしい」ではなく「話を聞いてほしい」「そしてできれば、あなたの考えを聞きたい」そんな感じでよいのだと思う。

「こんな話聞かされても困るだろうな……」という考えは、とりあえず捨てる。話すだけで意味がある。相手はきっと、(しょっちゅうじゃなければ)頼られると嬉しい。

いろんな人によりかかる

さらには、よりかからせてくれる人は、たくさんいた方がいい。

同じ人にばかり相談していると相手にも申し訳ないし、堂々巡りになりがち。違う人に相談すると違う視点や情報をくれる。

それからみんな得手不得手がある。得意そうな人に相談すると、道が開けたりする。でも、「こんなこと知ってるの意外!」ということもあるから、まずは信頼できる人に話せばそれでいい。

支えられているという実感

まだまだつらいこともあるけれど、支えられているという実感がある。いろんな人とつながっていて、その人たちが私が立てるようにしてくれている。

私が倒れそうになったら、また「よりかかりたい」と言って、よりかからせてもらう。

そうすると、新しい人をつないでくれて、また支えが増えたりもする。

 

「私、強くなったなあ」と、とてもとても実感している。