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Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

よく知らないものは怖い

母は、障がい者の方が働く福祉作業所で働いていた。
また、手話も習っていて、ろうあ者の人がたまにうちに遊びに来ていた。

いろいろエピソードはあったんだろうけど、すごく覚えているのは作業所に筋ジストロフィーの人がいたこと。私より年上だったか、年下だったか忘れたけど、近いくらいだったような。
「どんどん体が動かなくなって早くに亡くなってしまう」とは聞いていた。
人の死はあまり遭遇したことなくて、当時、物心ついて以降は誰のお葬式にも出たことなかったと思う。
しばらくして母とその話をすることがあって、その人は亡くなったんだとか。
職場の人が亡くなるってすごく大騒ぎしそうなことなのに、きっとわかっていたことだし、最後は作業所にも来られなくなって寝たきりになり、亡くなったのではないだろうか。

それ以外にも母からいろいろなことを聞いていた。知的障がい者だからしゃべる内容は子どものようなんだけどとても可愛い人とか。起伏が激しいけどゆっくり話せばわかってくれる人とか。

ろうあ者のひとの集まりにも数回行ったり、したかな。ろうあ者の人は音程などで感情を伝えられないからとっても表情豊か。健常者で手話を話す人と、ろうあ者の人は表情が全然違う、と素人ながら思う。(私は手話できませんけれど)

私は中2まで足立区に住んでいて、知的障がい者(当時は知恵遅れと言ったけど今はどうなのか?)向けの学級もあって、社宅の同級生のお姉ちゃんには知的障がい者がいて、ちなみに孤児院の子も同じクラスにいた。
子どもだったから、知的障がい者の友だちのお姉ちゃんを馬鹿にしたりすることもあったように記憶している。でも汚い者のように避けたりすることはないし、そこにいて普通って感じだった、と思う。

中学校からそういう人に接することはほとんどなくなったけど、小学校時代にそういう人が身近にいただけで、なんかずいぶん違うのかなと思う。

電車の中で、発達障害(なのか、自閉症なのか)の人が大きな声で独り言を言っていることがある。
あるときテレビで自閉症の子ども(といってももう大人になっているけど)を持つ親のドキュメンタリーを見たことがあって、「大きな声を出すのを我慢できない」んだと言っていた。
以前は電車の中で遭遇するとちょっと怖かったけど、そのテレビを見てから「ああ、声に出しちゃうんだなあ」って思えるようになって、別に怖がることはないんだと思った。

たまに絡まれたりもする。私と後輩の2人で喋っていた内容を受けて、関連しそうなことを大きな声でこちらに向かって話されたりとか。ちょっと恥ずかしい。どうしていいのかわからないし。
でも発達障害自閉症の人がみんなそうというわけではないし、基本的に人に危害を加える人はひとりで電車に乗らせてもらえないのではと思う。
健常者にも人を危害を与える人はいるわけで、一部の人がそうだからだと十把一絡げに捉えてしまうのはどうなのかなと思う。

以前ベビマを教えている人にインタビューしたときに、2人子どもがいる中で、上の子が軽い自閉症だと言っていた(でも本人はいたって普通で何かの質問をするまでわからなかった)。
「小学校に上がってもうまく話せないので特別学級に行ったら、どんどん話せるようになった。もっと早く行けば良かった」と言っていた。うちの母も言っていた。「障がい者だと認めたくないのはわかるけど、疑いがあったら早く対策したほうがいい」
ちなみにベビマの受講生の中には、ダウン症の子が数名いて「すっごくかわいいですよ!」と言っていた。

ちょっと話はずれるけど、知り合いのお姉さんが出産で要介護の体になってしまい、子どもは無事生まれたのだけど、育てられないので乳児院に行くことになった、という話を以前聞いたこともある。
私だっていつ要介護の体になるかわからない。

何が言いたいかというと、そういう人が普通に近くにいて、私たちにちゃんと知識もあって理解している、という身近な感じになればいいのにな、と思う。
昨日ラジオで特別養子縁組をあっせんする民間企業の話をしていて、そういうことも全然知らないなと思った。それももっと身近になるとかすればいい。

テレビで小堺さんが「私ね、色弱なんですよ」って言っていた。さらりと。
色が人と違って見えるんです。でもオヤジが「おまえは世界が違って見えるのか、いいな」って言ってくれてラクになった、って。
ゴッホもそうだったんじゃないか、って記事を読んだことある。
仕事のすごくできる元上司が、鼻が利かないんだと言っていた。サーフィンで怪我してから・・・だったかな。自分の匂いもわからないからすごくシャワーを浴びるらしい。いつも清潔にしている。

身近でありたいというのは、いろいろな意味で偏見を持たない人になりたいわけですね。