Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

たくさんのレンズから見る

・同じ本を何度も読む人
・一冊の問題集を徹底的にやる人
・母親から教わったレシピをそのまま継承する人
・・・がいる。私はいずれでもない。そんな人に憧れる気持ちもあったけど、そうなれないのにはおそらく訳があったのだ。

私が伝えたいのは主にこういうこと(下図)なんだけど、何から話そうか。

図1

先日、こんな本を買って読んだ。



抽象思考について、抽象的に、ときに具体的に描かれた本。
これを読みながら、ああ私がこだわっていたことはこういうことなのかな、というのがいくつか。大半は忘れてしまったけれど、そこをヒントにわかったこと。
ものごとの真髄は、実は抽象的なのではないかと思う。真髄って言葉がまた曖昧と言えば曖昧だけど。

私は何かに軽くハマることが多い。編み物とかビーズとかの制作物のこともあれば、昔は音楽ライブ、ひとりバーめぐりなど。今みたいに家事・料理が楽しくて仕方ない、なんてこともある。
それが調べられるものなら、まず本を買う。(書店に行くと「自分が今気になっていること」が明確になる。)最近は書店に行く機会がめっきり減ってしまったけれど、一定期間同じ棚にばかり行く。
例えばダイエットにハマる。ダイエットの本ばかりたくさん読む。最初はライトなモノから、だんだんヘビーなものになっていく。ダイエットには栄養管理が大切、とわかるとマニアックな栄養の本を読んだりする。あるときふと「奥まで来すぎたな」と気付く。全体像はだいたいわかったのに、掘り下げすぎている。なにがきっかけになるかというと、読んでも調べてもつまらない、ということかな。本当にふっと訪れる。その後、ハマった状態から脱却するのだ。

私の中では、ダイエット像ができあがっている。それが図1の「?」の部分。「もうだいたいわかった」という状態。先ほどの例で言うと、栄養の話をこれ以上詳しく調べても「?」の全体像にはあまり関係ないな、と。

で、ここからが重要なんだけど、「で、あなたのダイエット像ってどんなの?」と人に聞かれたとしても、私がわかっているものと同じ像を見せてあげられない。私の中では確固としたものがあるのだけど、非常に抽象的なのだよね。図1の例で言うと、「?」という3次元の物体を、二次元で表せないことに似ている。それを人に見せる場合、どこか一方向から2次元の絵や写真を見せるしかない。実物をぐるりと回せばいいのだけど、それは1方向から見るレンズをいくつも重ねているに過ぎない。つまり、話すなら言葉を尽くしていろいろな角度から見せるしかないというわけ。それも、ある程度は近づくかもしれないけど、本当の「?」をそのまま伝えることはなかなかできない。
だから何かを伝えるとき、質問されるとラクなんだよね。「左から見るとどんな形?」「上から見るとどう?」「近づくと?」それなら誤解を最小限にして話せる。
また、すでに似たような「?」を共有している人とは少ない言語でわかり合える。「右から見るとどう?」「上からは?」「ああやっぱりそうだよね、僕と君が持っているのは同じ『?』だ」ってとこかな。「?」はつまりある程度の精度を持った真髄だから、まったく別の境遇の人でも同じ形を所持していることがあり得るわけだ。
もう少し言うと、小説のような創作ではなく、自己啓発のようなノンフィクションの本を何十冊も別の視点で書ける人は「?」をいろんな角度から説明しているのだと思う。だから何十冊も書けるのだ。逆に言うと、その人の本を一冊読んでも同じ像を手に入れることはできない。さらに言うと、できれば別の人の言葉で同じ像を見た方がいい。

若くして株の投資で何億も稼いだ人がテレビに出ていて、「最初100万円をすぐにすってから、本屋の立ち読みで株投資の本を200冊くらい読んだ。そうすると共通することがわかってくる」みたいなことを言っていた。それって、たくさんのレンズをとおして「?」を見つけたってことなんじゃないかな。

最近お菓子づくり(主にパウンドケーキ)をはじめて、クックパッドレシピで作った後に、Amazonで評価の高いパウンドケーキの本を買った。そのあと疑問が出てきて、理論的な本を買った。なぜこんなことをするのか考えてみると、やっぱり「?」の部分が知りたいんだと思う。「私にとってお菓子作りとはこういうもんだ、だいたいわかった」みたいな状態になりたい。なりたくてもなれないことも多いけどね。

で、私が
・同じ本を何度も読む人
・一冊の問題集を徹底的にやる人
・母親から教わったレシピをそのまま継承する人
じゃないのは「?」の部分を見つけたいから。だってね、赤い部分のレンズを通していくら細部を研究しても、「?」の全体像は見えてこない。
私は流行りとかあまり興味がなくて、ライターという職業にあるまじきかなーと思っていた。知的好奇心が薄いのかと思っていたんだけど、今回のエントリーを書くことで、むしろ好奇心ありありだな! とわかったのは大きく前向きな発見。
赤い部分を写真だとすると、写真の細部を結構忘れてしまうのだけど、確実に「?」の全体像には近づいているんだよね。だからもっと言うと、私は小説の内容やストーリーを忘れる(覚えようとしない)し、書籍の細かなデータや地名など忘れてしまうのだけど、「?」に近づくためのヒントだと思ったものは覚えている。(2回目に読んだときに「1回目は気付かなかったけどこれもヒントだったんだ!」と思うことは大いにある)
それらを通して何を見るか。それはまさに抽象的でうまく言えないけれど、もっと大きくて、自分にとって大事なもの。もっと言えば、人生を通してすべての経験や知識がそこに向かっていると思いたい。