Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

偏見と「普通の考え」

偏見について思ったことをすこし。
最近、林真理子さんが偏見に満ちた意見を週刊誌に掲載したらしく物議を醸している。

でも、偏見のない人はいないと思うのだ。(それを公に書いていいのかは別として)
偏見ってなんだろう、という話もあるけれど、まあ思い込み、に近いのかな。
つまり、よく知らないのに想像で思い込む。
脳はものごとを単純化しないと気持ちが悪い、とか何かで読んだことがある。
だから、情報が足りないからといって、判断を保留にするのは良しとしないんだと思う。
いろいろと想像して、いわば勝手に作り上げて、善悪を決めてしまったり。

幼稚園で、課外授業のお勉強的なものを見学した。
絵が描いてあって、「この子は良い子でしょうか。悪い子でしょうか」と問う。
まず、「悪いこと」と聞かずに「悪い子」とはなにごとだろう。
お友達を叩いてしまったら、その子は「悪い子」なのかな。

加えて、その絵だけで(つまり文脈を知らずに)いい、悪いをどうやって判断するのだ。
ニコニコしながら靴を脱ぎ散らかして汚い靴下で玄関を上がっていた子は「悪い子」らしい。
でも、その子になにか急ぐ理由があったかもしれないのに。
何が言いたいかというと、これは偏見を助長してないか? ってこと。
見学した時は、まあハテナはあるけど、そういうもんなのかなって思ってた。
こうやって単純化して理解させることにも意味はあるのかな? とか。
でも、子どものころから「人にはいろんな事情があるんだよ」ってことを教えて悪いことはないと思うけどね。

もうひとつ、大多数(=普通)についても考える。

私たちは、たぶん特に日本人は、大多数側に入りたい。
「普通こうは思わないでしょ」
「こんなこと思う人いるんだー」
とかね。少数派で声の大きい人は批判されたり。
でも、大多数というのはあくまで大多数で、全部ではない。
例えば「9割がAと思う、1割がBと思う」という事象があると、自分は当然9割のAに入ると思ってしまう。
でも、そんな事象が10個あれば、多くの人が1個くらいは少数派に入るはず。
池上彰さんだって、何十回かに1回はおかしなことを言ってるんじゃないか(あくまで可能性として・・・)。

自分で「当たり前」と思っていることが、多くの人に「当たり前」でないかもしれない。
それって文字にすると当たり前のことなんだけど、感覚的には分かっていないのよね。
そういうのが感覚としてわかっている人が増えると、もっと素敵な世の中になるんじゃないかな。
少なくとも自分は、感覚的にわかりたいなーと(今はまだわかっていないので)思うわけです。