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Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

「普遍」に近づきたい

書かないと消えてしまいそうなので書きます。

私はどこへ向かうのか。

テクノロジー系のお仕事が楽しかったので、少し情報収集ルートを増やしている。
そこで、ある方によると「エンジニアは全員聞いている」(絶対ウソだろ!)というPodcastRebuild」を聞いてみた。
プログラミング言語にはトレンドとか流れがあるので、いま来そうな言語でアプリを作成しても流れが変わったらどうしよう・・・みたいなのがあるみたい。

プログラミングの概念みたいなものは普遍的なのだろうけど、言語を知っているということ自体は普遍的なスキルではないということだ。

前の会社にいたことを思い出した。

「たぶん、誰がやっても同じものができる」だった頃

私は最初、サーバーの設定なんかをする部署にいた。Unixのコマンドをどれだけ知っているとか、パスをどう切るとか、あとなんだろう。誰がやっても同じものができるよ、という仕事だった。それを速く間違えずにできたり、バグや設定ミスを直せたり(たいがい直せないw)することが大切。
たぶん上の方の立場になればサーバー設計をする、みたいなところで、「誰がやっても同じ」にはならないんだろうけど、当時の私レベルではそうだった。

そんなときに見た、出向先で隣にいたパートナー会社の業務アプリ開発の方々。自分の考えを活かせるし、担当する人によって別のパラメーターを設定したり、お客さんとの立場も変わったり、なんだかやりがいがありそうに見えた。

私がやると別のものができる

自分の会社でも業務アプリ系の部署ができるということで、手を挙げた。
私にとっては別に迷うことでもなくて、それほど大きな決意もなく、ふわーっと決めたような気がする。
新しい部署は大変だったけど、生きている感じがした。必要とされているとか、自分で決めなきゃいけないとか、教えてくれる人がいないとか。

地方出張続きだったり、少ないプロジェクトメンバーと朝から晩まで一緒という状況で、ちょっと大変すぎてメンタルがおかしくなったりしたのだけど。

自分の中に答えのヒントがある

業務系って、人の感覚みたいなものが必要になる。伝票のフォーマットひとつにしても、「これはぱっと見て理解できる? 必要な情報が入っている?」みたいなのって、お客さんへのヒアリングはもちろんだけど、自分の感覚に聞けば答えが返ってくるところがある。

会社を辞めて、ハワイに恋して4ヶ月間住んで、そのあとライターになった。
ライターになってからの仕事の変わり方なんかは書くと長くなるのだけど、「自分の感覚に聞けば答えが返ってくる」という仕事はとても多い。

それって何なんだろう、と考える。
たぶん、「普遍」ってことと結構近いんだと思う。
(スキルがないうちに自分の感覚を頼ることもできるので、見極めは難しいと思うけど)

思えばずっと「普遍」を求めてきた

そのキーワードにたどり着いたとき、そういえばずっとそこに向かっていたのかな、とわかった。

例えば恋愛

若い頃は、恋愛にも普遍があると思っていた。というより、恋愛にこそあるのだと。
だから「恋愛マスター」みたいなものを目指していたような気がするし、自分なりの「恋愛哲学」を確立したくてたまらなかった。
でもある程度経験を積んだり、人に話を聞いたりした結論として、王道とか、人の道とか、倫理とか、そういうものはあるけど、恋愛に普遍はないんじゃないかなって。
基本的に対象者がひとりって時点で、パターンがはまらない。相手によって違いすぎる。
それがわかったときに、恋愛マスターはやめだな、って思った。急に思ったというより、徐々に思った、のかな。
大勢にモテるのが目的とか、ナンパの成功率を上げるとか、そういうところにはたぶん普遍的なことはあるんだと思う。統計学みたいなものか。
でも今目の前のこの人と恋愛したい!ってときには適用できない。

例えば書く内容

悲しいことに、流行モノにほとんど興味がない。
仕事なのである程度把握する努力はするものの、流れ流れていき、そこにポリシーも秩序も感じられない「流行」というものをつかみ取れない。
流行が好きな人に言わせれば、そこにも本質はあるのかもしれないけど。

子育ての記事は、ママが感覚で言っちゃってる適当なものも多いんだけど、本質に少なからず近づけると思う。(本質と普遍はニアリーイコールです私の中で)
子どもは本質のかたまりみたいな存在だ。
前にチームラボの猪子さんが「人は本当の感覚じゃないものを自分の感覚だと思い込んでいる」みたいなことをYouTube(大学生向けの講義かな?)で言っていた。大人はそう。子どもはそうじゃない。それだけでも本質だ。

少し話が反れるけれど、長男は少しずつ自分の感情をコントロールできるようになってきた。怒りを抑えたり、我慢したりする。勝負に負けても誤魔化して笑えることもある。
彼の成長は喜ばしいことなんだけど、私の中にびっくりするくらいの喪失感があった。何かをなくしてしまった。


先日、連続してスタートアップ系ベンチャー企業の社長にインタビューする機会があった。サービスやプロダクトというのは、私たちが目にすることのできるほんの少しの要素でしかなくて、その人の中にいろんな「普遍」が詰まっていることに驚いた。
逆に言うと、すごく大きなものを抱えていても、その中から形にできるのってほんの一部しかないんだろうなとも思った。
自分の力で前に進んでいる人の中には、たくさんの普遍がある。

記事として考えると、何かの文脈に普遍的なことが含まれている分にはいいんだけど、普遍的なことだけを書こうとすると、昔の本で足りるよね? ってことになってしまう。
普遍的というくらいだから、昔から変わっていないはずなのだ。だから新しい記事を書く必要がなくなってしまう。
だから、やっぱりトレンドとかをエッセンスとして入れていかなくてはいけない。どちらがメインでどちらがサブかはわからないけれど。

あとは物語について、よく考える。そこには何があるのか。
普遍というのを突き詰めて考えると、そこには文脈が必要だ。
例えば、「ものごとは楽しい方がいい」というのはある場面では真理だけど、たぶんそうじゃない場面もある。(普遍と本質と真理はニアリーイコール、私の中で)
本当の意味で真理をそこに残そうと思ったら、しっかり場面(文脈)も書き切らなくてはいけない。
だから小説や映画などの物語が必要なんだと思う。というのが今の私の考え。
・・・そう書いてしまうとなんだか味気ないんだけど。

まとめると

残念ながら今回もまとめませんw