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Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

最近のメディアの騒動を見て思い返す不毛の時代

writer work thinking media

f:id:emi_tochio:20161202193222j:image最近のwelqなどの騒動を見て思うところはいろいろある。

ほんの数年の間に時代が変わる激動の渦に、私たちライターは、翻弄されていると感じる。

 

自分の価値が疑わしい

「書くスキル」はあるけど何かの専門家ではない。つまり取材などで情報をインプットしないと書くことができない、という私のようなライターは、ネットではニーズが少ないのかも、と疑問を持っていた数年前。

 

ある情報から、記事を書く。素人に近いライターが書いたものと、私が書いたものは、そりゃ文章としては私の方が整っていて、正確さも勝るかもしれないけど、読者がそれを求めているのか? といったらそんなことはないのだろうと。

「~ます。」「~ます。」「~ます。」と語尾がダブっていようと、「てにをは」が多少間違っていようと、読者が知りたい情報がたくさん載っている方がいい。

 

同じ作業でも、ギャラにしておそらく数倍~数十倍は変わってしまう。さらに私ならたぶん取材をするので、もっと差が付く。だったら、多少文章が下手でも安い方がいい。何年も文章を研いたプロである必要なんてない。時間のある人が小遣い稼ぎに書いた記事だっていい。

 

「文章のうまさは書く側のエゴじゃないの?」なんて言うライター仲間もいた。

 

内容よりタイトルや画像

煽るタイトルがバズる。「何々の5つのコツ」なんて書けばPVが稼げる。内容はスカスカでも、画像を豊富に入れて結論を引っ張れば滞在時間が延ばせる。

そんなコンテンツが求められているなら、人より少し書けるだけのライターに何の意味があるのだろうかと。

 

仕事の打診でがっくりくる

数年前は、問い合わせもそんな仕事ばかり。

「リサーチをして3000字程度にまとめる仕事です」

「取材はしないのですか?」

「取材は想定していません。月に何本できますか」

 

取材して、そこそこ読み応えのある記事を書けたからって、それがなんなのだ。ネットで誰が読み応えのある一次情報を求めていて、誰がお金を払うのか、と自信喪失する。

 

コラム系のお仕事で、

「そういう記事書いて欲しいです!」

って意気投合したのに、ギャラは素人と同じと提案されたことがあった。

「書くスキル」って何なんだろう。必要ないのかな。

あとからそのメディアを覗いてみると、素人さんが書いた記事がバズってたりする。私が書いてもバスらないんだろうな。だったら、素人さんに何十本も書かせて数本当たった方がいいよね。とか。

 

コピペに気持ち悪さを感じない人

今までの取引先でも「○○についてツイッターなどのコメントをまとめる」なんて企画を依頼される。

幸いにも私はやらなくて済んだけど、それをやるのはすごく気持ちが悪い。だけど、それに気持ち悪さを感じない人が生き残っていくんだろうなと思ってしまう。

 

いつか報われるのか

正しいことをやっていればいつか報われる、なんて、昔からあまり思えない。

ツイッターをまとめる方が正しいかもしれないし。少なくとも法的には問題ないんだろうし。

もともとグレーだったビジネスが、どんどん大きくなって誰もが認めるものに成長していった例もたくさんあるしね。

 

だからちゃんとやっているつもりでも、自分の価値をずっと疑っていたし、これからもそれは続くかもしれない。

仕事の価値は、やはり市場が決めると思うから。

 

だけど、今回の件でパクリや低クオリティに関する意識が上がったこと。適当やっている人たちが多少なりともビクビクする状況になってきたこと。

それは喜ばしいと思っている。

いつか報われる、と思っていたわけではないけれど、なんか「報われた感」はあるよね。