Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

できないことができるようになるまで

できないことができるようになるまでのプロセス。

仕事(やその他のスキルスキル)だと結構わかりにくいけど、スポーツだとわかりやすい。

でも、やることはきっと同じなんだと思う。

 

私はバレーボールのセッターなんだけど、ロングのトスが苦手。あまり高く遠くへ飛ばすことができない。

小中高でバレーボールをしていたが、その間もずっとそうだった。ロングパスが苦手なのだ。

でも、ワンパス(レシーブなどの一打目)がネットの左右に振れてしまったら、その反対側にトスを飛ばしてブロックを揺さぶりたい。そうすればブロックが追いつかないから、スパイクの決定率が上がるのだ。

 

「長いトスを上げたい」と、目標を定めた。

 

どうして上がらないんだろう?

たぶん筋肉のバネが弱い? 力はあるほうだけど、バネがないような気がする。

「どうして上がらないか?」を突き詰めても解決には至らない。筋トレするくらいしかない。

 

同じチームの人たちにいろいろ聞いてみた。

「握力じゃない? 指立てふせの格好よくしていたよ」

腕立てのように上下するわけではないけど、腕立てふせのような恰好をして指を立ててみる。これで握力が上がるらしい。バレーのストレッチの時に取り入れることにした。

 

「気合いだよ、気合い」

「弾くようにするといいよ」

「ボールを送り出した瞬間にあごを引くとよく飛ぶよ」

いろいろ聞いた。ひととおりやってみる。

 

YouTubeでも見た。

レーニング法とか、遠くに飛ばすコツとか。

それもひととおりやってみた。

 

筋トレやトレーニング法は取り入れる。

その上で、「こうするといい」についてはやってみる。

そんな中で私に一番効いたのは、「体の遠くでキャッチする」というもの。

 

パスをするとき、おでこのすぐ上と、少し手を伸ばした場所では、ボールを取る位置が結構異なる。

腕をすごく曲げて力を入れるより、少し手を伸ばし気味にして力を入れるほうがパスがよく飛ぶという。

実際にやってみると、本当にそうだった。

理由を考えるとわかるけど、腕をすごく曲げているときより、少しだけ曲げている方がより力が出るのだ。

 

自転車ではほとんど常識で、サドルを低くして膝を深く曲げるより、サドルを高くして膝を伸ばし気味にしたほうが疲れないし力が入る。

腕でも同じで、筋肉が同じなら、少し伸ばし気味のほうがよく飛ぶのだろう。

 

そうして私は、これまでより長いトスを上げられるようになった。

 

ここまで書いてから、ジャンプトスも同じだなと思った。

今度は、ジャンプトスを遠くに飛ばすように腕を伸ばし気味にしてみよう。

 

いろんな人のアドバイスに的確なものとそうでないものがあるのは当たり前で。

なぜなら、「こうすれば飛ぶ」は人によって違うからだと思う。

 

注意しなくちゃいけないのは「このせいで飛ばない」と「こうすれば飛ぶ」は同じ要素でないことがある、ってこと。

私の場合、理由の一つは「筋肉が弱い」なのだけど、そこを攻略しようとすると筋トレしかない。

でも、「こうすれば飛ぶ」は、キャッチする位置の問題もあった。おでこのそばでキャッチしてもよく飛ぶ人がいるだろうから、それ自体はパスが飛ばない理由にはなりにくい。だからけっこう、見つけにくい。

 

できないことができるようになるまでのプロセスをまとめる。

 

1.なぜ、Aができないのか? と考える

「なぜ、パスが高く遠くへ飛ばないのか?」

 

2.Bのせいでできない、が見つかったら、Bを攻略しようと試みる(攻略できないこともある)

「筋力が弱いせい?」→「筋トレ、その他トレーニングをしよう」

 

3.どうすればAができるのか? と質問を転換する

「どうすれば、パスを高く遠くへ飛ばせるのか?」

 

4.C、D、E……をすればできるかも? をたくさん集める

「あごを引く」「膝からの力を伝える」「おでこから遠くでキャッチする」

 

5.全部やってみる

 

6.ぴんときたいくつかを、繰り返しやってみる

「指立て」「おでこから遠くでキャッチ」

 

7.CとDにより、Aができるようになってきた、がわかる

「パスが遠くに飛ぶようになった!」

 

8.Bも攻略できるとなおいいよね、がわかる

「筋トレを続けたらもっと飛ぶようになりそう」

 

バレーには人生の縮図がある、と思う。

 

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余談だけど、「私にはできない」って言う人の多くは「できるようになりたい」って思っていない。チラッと思っているかもしれないけど、本気で考えていない。あるいは、できるようになるために犠牲を払ったり、リスクを取るほどではない。

 

だから私は、変にアドバイスをして嫌がられる前に、「できるようになりたいの?」って聞くようにしている。

何かにハマる

私はよく、何かにハマる。そしてぱたりとやめてしまう。

 

小学3年生の終わりに出会ったバレーボールは、ずっと大好きだった。高校3年生までなので、9年間。

 

20代のころは、だいたい恋愛にハマっていた。

 

26歳ごろから35歳くらいまで、フラ(ダンス)にハマった。会社を辞めてから短期でハワイに行って、ハワイでレッスンを受けていたほど。

 

4年ほど前は、コルクラボ(コミュニティ)にハマっていた。今は入ったままである程度落ち着いている。

 

今は、またバレーボールにハマっている。たくさんの時間を使うのが楽しい。さほどお金を使わなくていいのもなおよい。(中年になってお金を使うハマりごとは、私の性格上なかなか大変な気がする)

 

今のバレーボールのハマり具合はやりすぎだな、と思うけど、今までの私から考えると対象が変わっただけで、ある意味通常運転な気もする。

オンラインコミュニティと部活のようなコミュニティの対比

私は4〜5年、コルクラボというオンラインコミュニティに所属している。

地域にとらわれずやりとりできて、SNSを多用していて今風だったりする。

 

かたや、ママさんバレーボールという、昔からあるベタベタなところにも所属している。

ここにもまた、コミュニティがあった。

 

とても対照的なのが面白い。

 

●コルクラボ

・活動はオンラインが多い

・言葉が中心で「言語化」が大事

・多様性に富む

・新しい(まだ数年)

・フラットな関係性

・確固たる目的がない

 

ママさんバレー

・活動はリアルしかない

・プレー(非言語)が中心

・子どもを持つママで、同じ地域に住んでいるというある程度似通った人たち

・伝統があり、脈々と続いている

・PTAなど大きな組織からなる活動の一部

・「バレーボールをする」という大きな目的がある

 

コルクラボはとても今風でサラッとしていて、入る時にはいろいろあるけど出るのは自由。知らずにやめている人は数えきれない。お互いを尊重して、辛いことを頑張ってやろう、みたいな空気はない。

ママさんバレーはゼエゼエ言いながら、汗だくになりながら練習をして、入るのも止めるのもそれなりに注目を浴びることになる。お互いのプレーに干渉をして、好き勝手なことをするわけにはいかない。

 

後者が昔風のコミュニティで悪者みたいに言われがちだけど、私はどちらも好きだ。それは、いつでも出られるという自由があってこそなのかもしれないけど。

 

私は割と寂しさを感じることが多いので、自由でフラットなコミュニティはふと「ひとりぼっち」みたいな感覚を覚えることがある。だけど、バレーボールは自分で何かアクションを起こさなくても毎週練習があるし、そこで一生懸命プレーすれば認めてもらえる。

 

流行りの形はあるけど、ローカルに根ざしたコミュニティというのも、避難場所として誰もが持っているといいんじゃないかなと思う。

 

両極端なコミュニティに同時に所属して、いろいろな対比ができることは、とても価値のあることだなと思う。

 

【追記】文化人類学的な観点で、両極端のコミュニティを体験し、それぞれの特徴を(自分の中で)明らかにしていく試みなのかもしれない。