Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

偽善で人を救えるか

今日夫と話していて思い出したことがあったので。

多額の寄付をして、ボランティアをして「偽善だ」と言われている人をよく耳にする。
それについては私は若い頃(おそらく中学とか高校とか)に思ったことがあった。
端的に言うと、当時出した結論は「偽善でも人は救える」ということ。
その日から私の中で偽善は「あり」になった。
その頃から10年、20年経っているけど、今のところ私の中で矛盾はない。

人のために何かをする、見返りを求めずに何かをするのは“完全には”ムリだと思っていた。
直接対価を求めないにしても、やってあげれば「ありがとう」と言われたいし、
自分を犠牲にしてできることも限度がある。
相手にしてあげられることは、相手の状況で決まるのではなく、自分の都合で決まるわけだ。
そんな自己矛盾に耐えられそうにないものあって、
ボランティアとか、人のためとか、そういうのにはあまり目を向けないようにしていた。気がする。
(ちょっと言い訳かもね)
人の中になにか矛盾を見つけると「偽善者っぽくてイヤだなあ」と思っていた。

でも、偽善だろうと何だろうと人は助かっている。
ボランティアの100人のうち、99人が偽善でも、極端な話全員が偽善でもいいと思う。
いないよりはいた方がいいというレベルのものでなく、「偽善万歳」ってことになる。

自分の中で結論が出てからも、結局人のために何かをするようなことはなかったわけだけど。
で、「人の偽善」はありなんだけど、自分としてはやっぱり「見返りを求めないのが美しい」と思ってしまってるんだよね。未熟なり。