よく、「痛い」っていう。
怪我とかではなくて、精神的な(?)意味合いで。
たとえば、彼女の誕生日に曲をプレゼントするのって、痛いか?
それは人とか曲のクオリティにとかその他諸々によって違って、
上手じゃない人が自己陶酔しながら歌っているのって、たぶん痛い。(お笑い芸人の狩野とか・・・)
それくらい違えば明快なんだけど、それ以外、たとえばアマチュアバンドくらいの人だったらどうか、とか。
知り合いで、「愛の歌を作ったことがある」というO君。Sさんはその男性を見て「痛い」と言わんばかり。
でも、そのSさんは学生時代は短歌を作るのが趣味だった。それは痛くないのか?
難しい問題です。
ほかには、子どもなら?
うちの息子は戦隊モノを見た後はすっかりなりきってしまって「やあっ!」「とおっ!」なんて言っている。ほほえましい。
大人がアクション映画を見終わった後、すっかりなりきってそんなポーズとか取ってたら、痛いかな? 痛そう。
あとオタクとか。アニメの絵を描いた車を「痛車(いたしゃ)」と呼んだことがあったくらいだから、たぶんオタクって痛いってことになっているんだと思う。
でも、村上隆とかってオタクが芸術まで昇華しちゃった例でしょう? もう、痛くないよね。
ひとりで完結してしまうモノは「痛い」けど、相手のためにしているなら「痛くない」のかもしれない、と思ったり。
つまり、「彼女のために曲を作ったオレ」がメインだと痛いけど、「これなら本当に彼女が喜んでくれるかな?」だったら痛くないとか?
子どもはすべて自分のことが中心なので仕方ないけれど、そのまんま大人になっちゃったら痛いとか?
「痛い」って感覚は、日本人特有なのか? とか。そういうこともありそうだ。
で、「痛い」という感覚は、いろんな人の創作活動や趣味を邪魔しているんじゃないかと最近思ったり。
私自身で言えば、「痛いよなあ」と思って人に言えなかったり、できなかったりしていることがあるからね。
心理学的にはなんて言うのかなあとか。羞恥心的な部類なんだろうか。