ポッドキャストでこんなことを話しました。
#039 ポエムと日常のギャップって? - クリエイティブの反対語[Podcast]
ポエムと現実(お笑い)、自分の中でモードがあって意識して切り替える。その2つは共存できなくて、うまく切り替えられないこともある。
詳しくは、聴いていただくとして。
以前より、「映画の感想が言えない」自分を分析しようと何度も試みている(だいたい失敗している)。
私は感想を言い合うのは苦手。 良い映画だったら世界観が損なわれてしまうと思うし、あまり良くなかったとしてもしたり顔で解説なんか始めたら映画が台無しになってしまうような気がする。 というのは後から付けた理由のような気もするけど、とにかく何となくその場で上手く言葉にできない。トイレとかで女子が「あのときこうなると思ったー」とか言うのを聞くのもちょっといや。 理由をもう一度考えてみる。やっぱり、感想を言うことで映画にどっぷり漬かっていた自分が、現実に戻ってきてしまうのがもったいないのかな。 それとも、感想を言い合うことで相手に共感できなかったら嬉しくないとか。それもある。 でも、次の日に話すならたぶんまあまあいける。直後だとちょっと抵抗があるんだよね。やっぱり余韻を楽しみたいとか。しかもひとりで味わいたいとか、そういうことなんだと思う。 これは読書からの流れなのかもしれない。 読書をした後に、世界が違って見えることがある。 お風呂の水の音すら、詩的で美しく聞こえるようになるとかね。 そういう余韻は半日とか1日、もっと持つこともある。 人と会うと現実に戻ってしまうから、ひとりの時間が何より楽しい。 その楽しみを知っているから、映画でもそうなるといいなあみたいな感じか。
ひとりの楽しみ - Low Kick - 2nd -
みんなで見るのが苦手で、感想を言い合うのも苦手、と書いていて、ふと思いついたことがあったので。 なぜ感想を言い合うのが苦手かというと、たぶん、照れが大きいのだと思う。 見ている最中は、物語の中にどっぷりと浸かって、主人公になりきって、悲しいシーンで一緒に泣いて、嬉しいところでも泣いて。 その気持ちのままで外部の人と向き合うなんて無理でしょう。 ひとまずその時の私は置いておいて、冷静な自分で語らなければいけない。 また、一番感動したシーンのことを話したりしたらまた泣いてしまうかもしれないから、2番目、3番目に良かったところを話すなんて逃げに走ったりもする。 でもそうすると、浸っている自分から抜け出さなくてはいけなくて、ちょっともったいない。 泣かない映画でも同じ。小説でも同じ。浸れば浸るほど、話せない。 ただ、翌日になるともう冷静なので、普通に話せたりする。
映画の感想が言えない - Low Kick - 2nd -
以前書いた『映画の感想が言えない』(http://lowkicking.blogspot.jp/2013/03/blog-post_5432.html)というエントリーでは、「照れ」と書いたけど、本当は外に出した途端に別のものに変わってしまうからだったのかな。自分の思いを代弁してもらったようで。
『SWITCHインタビュー 達人達』を見る - Low Kick - 2nd -
で、今回も自分の気持ちの分析を試みてみる。
Podcastで(とりあえず)解明に成功した「ポエムと現実のはざま」の定理(そんなものはないけど)を使うと、映画の感想が言えないのはまさに、ポエムなモードにいるときに「現実に戻りたくない」という気持ちが原因。それこそが「映画の感想を言えない」の正体なのではないかと。
やはり人と話すとわかることってあるね。
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少し別の話になるけと、最近mixiアプリが昔の日記のサジェストをしてきた。
若かりし頃の「ポエム」な日記を読まれたくない! と考えた人が「対応すべし」なんてツイートしていた。
つまり、その方たちは昔はポエムの世界にトリップすることはあったけど、今はないってことなのかな?
あるいは、あっても今となっては人に見せることはない、と。
ただなんというか、ポエムな世界って、必要な人には餌みたいなもので、それがないと生きていけないって感じなんだと思う。
だから、今はないやって人も、時々戻ってみたらいいと思うよ。映画を見たり、小説を読んだりね。