子どもと電車に乗ると、工夫がいる。
彼らは、飽きっぽいのだ。
「クイズしようよ」と言われても、持ちクイズなんてそんなにない。
「しりとりしようよ」とは、もう言わなくなった(飽きたのか)。
今日は、長男とふたり。ちょうどバレンタインの広告が電車にたくさん貼られていたので、バレンタインがらみで思い出したことを話す。
私がnoteに書いている短編小説集があって、
「最近ね、バレンタインの話を書いたんだよ」と。
すこし謎解き風にしたので、ストーリーの説明が難しかったんだけど「へえ、ウケる」とか気のない感想。本当に意味が分かったのだろうか。
「他には?」と聞くので、次々と、軽く説明した。
「あなたもお話考えてよ」と言うと「ゲームに入っちゃうのどう?」とか、いろいろ出てくる。
「ママが小さい頃、本の中に入っちゃう話が好きだったなあ」と、ネバーエンディングストーリーの話をする。「それで? どうなるの?」と次々聞いてくる。こんなに話に食いついてくることって、あまりない。
私には、書きかけて完成していない児童向けの長編があり、その話をしてみた「小人が出てくるんだけどさ」と設定とストーリーを話しはじめる。
あっという間に目的の駅に着き「えっ! もう着いたの? 早すぎっ!」と驚く長男。
駅を下りて歩く。大好きなポケモンGOをしながらも、話し続ける。ポケモンGOをしながら別の話をする長男を見るの初めて。
「主人公がこうなって、そのあとどうしようかなーと思って」
「こうすれば?」
「でも、それはできない設定だから」
「そっかー。うーん。じゃあこうするのはどう?」
「あー、いいね。それいいね! それは考えつかなかったなあ」
「ほんと? 考えつかなかった? 俺すごい?」
なんだかめちゃくちゃ楽しそう。
作り物なのに、物語の力って、何なんだろうなって思う。それからどうなるの? っていう楽しさ。どうしたら面白いかなあ、って自分で考える楽しさ。
「物語の存在意義」みたいなことをよく考えるんだけど、そんなことの前に、小さな人をこんなにも夢中にしてしまう、魔力のようなものがあるんだろうね。