7歳の子どもと話していると
「やっぱりものづくりはいいよなあ」なんて大人みたいな言い草をしていた。
それを夫に話すと、彼はものづくりの本質的な喜びを感じたことはないという。
他のものでは代替できない、ワクワクするような、没頭する気持ち。
子どものころから、そういうのを感じたことがないという。(もちろん、ほどほど好きだし楽しい気持ちはわかるけど、と)
私の父親は、プロかと思うほどに日曜大工が上手な人だ。
母は編み物で服を作ったり、かと思えば今はクラフトテープで作るカゴバックの先生になっていたりと、やはりものづくりが好きな人だ。
私もそうで、今は文章を書くことだが、もともとは絵を描いたり工作をしたりといった物理的なものづくりもとても好きだ。
人類全体で、そう人って半分くらいいるのかな、と話すと、そんなにいないんじゃない? という。
それで、欲求の話になった。
夫は、人を育てることに欲求がある。ゲームも、育成型ゲームが好きだったという。
さらに、「教えること」がとにかく好きらしい。
相手にとって、この知識にどんな意味があるかを理路整然と説明し、相手をその気にさせる労力をいとわず、そこまでしても教えたい。
そこに何があるかと聞くと「教えて理解してもらうことで、楽しさを共有できるってことなのかなあ」と言っていた。
いや、めちゃくちゃ面白い。
共通の知人で、「あの人はこれが欲求で、そこを死守したいからほかでカバーしようとしているんだろう」という話題になった。
人それぞれ、なんとしても譲れない強い欲求があるのかもしれない。