Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

怒りと悲しみの処方箋

怒りや悲しみについて、いろいろと本を読んだ。

内省についても、本を読んだり話したりして、ずいぶん考えを深めてきたつもりだし、人間の難しさについて以前よりは理解が進んだ。

 

怒りは何かの二次感情だという。

 

中土井僚さんという方(『U理論』の翻訳者)が以前お話されていたことでとても印象的な内容があった。

 

ジョン・ゴッドマンによる「関係の4毒素」というのがあるらしく

・相手への非難

・相手への侮辱や見下し

・自己弁護や自己防衛

・逃避

トラブルがあるときにこういう行動を取ると、相手とうまく関係性が築けないという。

 

上記のような気持ちが生まれたときに、それを内省して深掘りして、自分の「痛みと願い」を知る。

それが表れてから、相手に伝えるといい、というのだ。

 

私には、「寂しさ」「悲しみ」が常に痛みとしてあると思っている。

「何かを伝え合ってわかりあいたい」みたいなものが、おそらく願いとしてある。

 

非難もしない、侮辱も自己弁護も逃避もしないで伝えるとなると、

「私はあなたとこんなことがしたい。それができなくてとても寂しい」

と伝えることになる。相手を責めずにこれを言う。

(つまり「あなたがそうしてくれない!」みたいなことを言わない)

これは、言うほど簡単ではない。

とても強い感情(痛み)があるわけだから、これを伝えるときは痛み(傷)をえぐっているようなものなのだ。

 

一度できたとしても簡単にはならず、そのたびにとても苦しい。

簡単であるくらいなら、そもそも痛まないからだ。

 

ただ、痛みと願いがわかって、それを相手になんとか伝えて伝わり、相手もわかってくれたとしても、改善できないことがある。

 

ずっと痛みを持ち続けることになる。

 

悲しみや寂しさを背負った子どもを見ると、それにより乱暴になったり、引きこもりになったり、ゲーム依存になったり、非行に走ったり、する。

そうするしか、自分を守るすべがないからだ。

 

でも私は大人なので、そんなことはしたくない。

どうすればいいのか、まだよくわからないでいる。

 

痛みを浄化できないと、最初の、二次感情であるはずの「怒り」も浄化できない。

痛みまで突き詰めたのに、「怒り」が心の中に残っていることに驚く。

何か、無理をしているのかもしれない。