ひどいことをされて、その人を懲らしめたい! と思うだろうか?
ここで、「はて、懲らしめるとはどういう意味だ?」と辞書をググってみると、
「制裁を加えたりして二度としないようにさせる」とある。
「(A)制裁を加えたら、(B)二度としないようになる」という前提があるように読み取れるが、果たしてその前提は正しいんだろうか。
ほんとうに、「(A)制裁を加えたら、(B)二度としないようになる」の?
私は、ひどいことをされても「懲らしめたい!」とあまり思わないみたいだ。
昔はわからないけれど、少なくとも最近の記憶では、覚えがない。
ひどいことをされたり、嫌なことをされた経験を何個か思い出してみても、そうでもない。
上記の「(A)制裁を加えたら、(B)二度としないようになる」を信じていないんだと思う。
反射的に「ぶっ叩きたい」と一瞬思うことがはあるが、さすがに大人なのでもうそれはしない。
その後叩きたい衝動が終わると、もはやいためつけたいと思わない。
どっちかというと(A)「制裁を加える」より(B)「二度としないようにする」の願望が強い。
つまり、(B)「二度としないようにする」が叶えば、(A)の「制裁を与える」は代替可能なんだよね。
だから、(C)「反省してもらう」がいいなあ、とよく思う。
つまり、別のルートとして、
「(C)すごく反省して(B)二度としないようになる」という願いが強い。
制裁はこちらから一方的にできるけれど、反省はこちらからするわけにはいかないから、
反省してもらうにはいろいろな工夫が必要になる。
基本的には外からのアプローチで反省させることはとてもとても難しいと思う。
だから、基本的にはあまりトライしない。
ただ、トライすることがないわけではない。
経験上、反省してもらうには、相手を理解して、こちらの言い分を理解してもらうことが必要だったりする。
人って、「(自分が)理解してもらえた」と思えて初めて相手のことを考えられたりするから。
それゆえ「傾聴」とかが大事になるよね。
ただそうなると一周回って、ひどいことをしてきた嫌な人に対して、「どうしてこちらが傾聴しなくてはならないのだ?」ってなるよね。
なかなか難しい問題です。