私には、バレーボールにどっぷり浸かっている時期と、全くやっていない時期というのがある。
学生時代は、小4から高3の引退前まで、約9年間バレーボールに打ち込んだ。
その後、大学生、社会人、結婚を経て、10年ほどバレーボールから離れていた(フラダンスに夢中だった時期もある)。
6〜7年前にバレーボールを再開し、ここ4年ほどは、私の生活におけるバレーボールの割合がぐっと増えた。
今では、PTAバレー(小学校と、卒業生として中学校)、クラブチーム、そして50歳から参加できるシニアチームにも所属し、週に2〜4回はバレーをしている。
さらに、中学生の部活指導も週2回担当しているので、かなりの「バレー率」だ。
バレーボールがもたらす「楽観性」
こうして再びバレーボール漬けの日々を送ってみて強く感じるのは、
「バレーボールをやり始めると、楽観的で、良くも悪くも物事を深く考えなくなる(つまりアホになる)」
ということ。
バレーをしているときには真剣なのだが、プレーをしていない時間に「大丈夫っしょ!」みたいな、軽やかな感じになる。
はっきりとそう認識したのは、『スマホ脳』や『運動脳』といった本を読んだからかもしれない。
運動がメンタルを安定させ、脳の能率も上げる、という。
思い返せば、学生時代、本を読んだり日記を書いたりと、自分なりにものごとを深く考えていたつもりだったが、
思春期ならではの「死にたい」とか「世の中に絶望する」といった経験は、あまり記憶にない(もちろん、それなりに悩みはあったが)。
これは、バレーボールに打ち込むことで、メンタルが安定していたからではないか、と思うのだ。
大人になって本格的にバレーボールを再開する前、私はメンタルが落ち込む時期が頻繁にあった。
週末にバレーをすると一時的に回復するけれど、週の半ばになるとまた落ち込む……そんなサイクルを繰り返していた時期もある。
でも、練習量が増えるにつれて、気がついたら、ドーンと落ち込むことがなくなっていた。
バレーボールがない時代の「クリエイティビティ」
一方で、バレーボールをやっていない時期、特に落ち込みやすかった20代は、孤独感を抱え、色々なことに悩んでいた。
同時に「何かを作りたい」というクリエイティブな欲求がすごく強かった気がする。
文章を書いたり、何かを作ったり……。暗い混沌とした中で、悩みながら何かを生み出す、というイメージだ。
以前、カフエ・マメヒコの井川さんと話した際に、「あなたは生きづらそうだ」と言われたことがある。
何とか生きやすくなりたいと願う私に対して、「その生きづらさを治すことはできるかもしれないけど、創造性は失われるかもしれないよ」と。
その時は、「苦しいよりは明るい方がいい」と思ったのだが、最近読んだ『脳の配線と才能の偏り』という本で、「鬱の人の方がクリエイティブである割合が高い」という章を読み、このことを思い出した。
心が落ちている時、私たちは色々なことをぐるぐると考える。
私の場合は、「何かを作る」ことで、その落ち込みから少しだけ浮上し、救われるような感覚がある。
だから、深刻さや憂鬱さとクリエイティビティは、私の中では繋がっているのかもしれない。
どちらが良い、というわけではないけれど
今はバレーボールが大好きで、この楽観的な状態でいたいと思っている。
でも、「自分の中に深く潜っていけない」ような、「物事を深く考えられなくなっている」ような感覚も、少しだけある。
どちらが良い、悪いという話ではない。一生バレーボールができたらいいなと思うが、いつかできなくなる時も来るだろう。
その時は、またクリエイティブな欲求が湧き上がってくるのかもしれない。
スポーツ(私の場合はバレーボール)は、心を楽観的に、元気にしてくれる。
それがない時期は、深刻さと引き換えに、創造性が生まれるのかもしれない。