ポッドキャスト「クリエイティブの反対語」で、記憶力について話した。
そこで「感情が伴うと記憶に残る」という話をした。
そのあと、TakramさんのPodcastを聞いて、
すべての記憶を忘れ(られ)ない人工知能が・・・、といった仮定の(?)話をしていて、やっぱり人間って忘れられる分よくできているなと思った。
(ここからは、私の頭の中)
結局いま、ビッグデータがあるだけでは(つまり全部の情報を対等に覚えているだけでは)うまく使いこなせなくて、そこでデータアナリストといった人が有用なデータをどうにかして取り出さなくてはならない、ってことになっている。
人間は(おそらく他の生き物も)、そこに感情という重みのあるタグを付けることで、精密なインデックスの代わりにした。記憶とは、覚えるだけじゃなくて取り出せなくては意味がない。取り出すために、感情が必要なんだろうと思う。
いまはまだ、人工知能に感情が生まれていない(はず)。それは、機械が人間に近づこうとしたときには大きな壁になるんだろうな。
感情があるのと、感情があるように見えるのは同じこと、という議論も確かあったと思う。本当に優しい気持ちからやさしくする人と、気持ちがないけど優しい振る舞いをする人は、外から見ると同じだ。
だけど感情とは外に対してだけじゃなくて、内側に対して必要なんだろうと思う。記憶をするため、記憶を取り出すため、大事なことを見分けるため。
今後もし、人工知能に感情が生まれたら(生まれるというより、最初はネガティブとポジティブに重み付けをするくらいなのかもしれないけど)、私はついに来るべきときが来たかと、ちょっとがっかりしてしまうような気がする。