Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

なぜ、シナリオを学ぶのか? ~基礎の安心感~

シナリオを学んでいる。通い始めたのは、2023年の10月。

講座形式+宿題で半年間学び、その後ゼミ形式で書き続けている。

 

なぜ、シナリオを学ぶのか

昔から私は、小説を書きたいと思っている。

小学生のころから物語を書こうとしては挫折してきて、大学生の時に深く「小説を書きたい」と思った。

それは、現れては消え、隠しては取り出し、ずっと私の中にある願望だ。

 

30歳を超えてからライターになり、ずいぶん経った。

私はインタビューの仕事が多い。ライターは、「今」を固定して、過去のことをドラマチックに、ストーリー仕立てで書く。

だから物語も書けるかと思ったけど(過去、noteにやHPに書いています)、なんか違う。なぜだろうか。

自分が書くと「今」が動いていかないのだ。主人公の過去のことばかりを書いてしまう。

だけど、物語というのは、主人公の「今」がどんどん進んでいくものだ。私は、「今」を動かしていくスキルが圧倒的に足りないんだと思った。

 

一方でシナリオ(脚本)はどうだろうか。

映像や舞台は、物語がどんどん進んでいく。

観客と一緒に「今」が動いていく。

小説のように、時間が止まったまま細かい描写をすることもほぼない。

だから、私の苦手部分を強化できるんじゃないかと思った。

 

基礎を学ぶ安心感

私が行っているところは割と有名で、けっこうな老舗だ。

「シナリオはこうあるべし」を持っていて「人それぞれだよね」みたいなことはほぼ言わない。まずは「こうあるべし」を学んで身に付けてから、「人それぞれ」を知る方が、明快ですっきりするような気がする。

 

基礎をとことんやる。それだけでも、自分にはあらゆるものが足りていないとわかった。時間を動かすだけでなく、自然なセリフ、キャラの立て方、感情の表し方、などなど。それらを少しずつ学び磨いていくことで、基礎がちゃくちゃくと積みあがっているのが自分で分かる。

先は見えないので、どこまで積めばいいのかわからないが、ひとまず積んだ部分は見ることができる。次に何かが積まれれば、また見えるだろう。

 

考えたら、ライター修行もそうだった。「こうあるべし」という基本をトコトン身に付ける。その後で、少しずつ自分なりの形になっていく。無理に工夫しなくても、自然と自分らしさが出るようだった。

その時に一度やっているから、基礎から学ぶのは安心感がある。

 

自分の中でいま習得していること

シナリオを学ぶうえで今気を付けているのは、(1)主人公の感情を表現することと、(2)起承転結の「承」を面白くすること。脇役の感情は描けても、主人公の感情を表現するのはちょっと難しい。また、起・転・結は思いついても、「承」を面白くするのは結構難しい。「承」の描き方こそプロの技だな、と最近思う。

 

もちろん起・転・結もまだまだまだだけど、ひとつずつしかできないから、今は「承」を頑張っている。これは、バレーボールの技術の習得に似ている。

ちなみに、スクールを作った最初の先生は「技術とは条件反射です」と書いている。物語のコツはたくさんあって、どれも聞いたことがあるけど「知っている」だけでは全然ダメ、ということだ。

書くときに、条件反射でできなければ身に付けたとは言えない。

頑張ろうっと。

嫌な人を懲らしめたいと思うか?

ひどいことをされて、その人を懲らしめたい! と思うだろうか?

 

ここで、「はて、懲らしめるとはどういう意味だ?」と辞書をググってみると、

「制裁を加えたりして二度としないようにさせる」とある。

 

「(A)制裁を加えたら、(B)二度としないようになる」という前提があるように読み取れるが、果たしてその前提は正しいんだろうか。

ほんとうに、「(A)制裁を加えたら、(B)二度としないようになる」の?

 

私は、ひどいことをされても「懲らしめたい!」とあまり思わないみたいだ。

昔はわからないけれど、少なくとも最近の記憶では、覚えがない。

ひどいことをされたり、嫌なことをされた経験を何個か思い出してみても、そうでもない。

上記の「(A)制裁を加えたら、(B)二度としないようになる」を信じていないんだと思う。

 

反射的に「ぶっ叩きたい」と一瞬思うことがはあるが、さすがに大人なのでもうそれはしない。

その後叩きたい衝動が終わると、もはやいためつけたいと思わない。

 

どっちかというと(A)「制裁を加える」より(B)「二度としないようにする」の願望が強い。

つまり、(B)「二度としないようにする」が叶えば、(A)の「制裁を与える」は代替可能なんだよね。

だから、(C)「反省してもらう」がいいなあ、とよく思う。

つまり、別のルートとして、

「(C)すごく反省して(B)二度としないようになる」という願いが強い。

 

制裁はこちらから一方的にできるけれど、反省はこちらからするわけにはいかないから、

反省してもらうにはいろいろな工夫が必要になる。

基本的には外からのアプローチで反省させることはとてもとても難しいと思う。

だから、基本的にはあまりトライしない。

ただ、トライすることがないわけではない。

 

経験上、反省してもらうには、相手を理解して、こちらの言い分を理解してもらうことが必要だったりする。

人って、「(自分が)理解してもらえた」と思えて初めて相手のことを考えられたりするから。

 

それゆえ「傾聴」とかが大事になるよね。

ただそうなると一周回って、ひどいことをしてきた嫌な人に対して、「どうしてこちらが傾聴しなくてはならないのだ?」ってなるよね。

 

なかなか難しい問題です。

 

石川雄一さん(石川善樹さんのお父さま)を知る

「この人、好きだなあ!」って思う人を見つけたときは、とても衝撃的だ。

少し前はオードリー・タンさんだった。

オーディオブックで何冊か本を読み、なんて素敵な人なんだろう、と思った。

 

今週見つけてしまったのは、石川雄一さんだ。

ウェルビーイングの研究者、石川善樹さんのお父さま。

Audibleのアプリを開いていて、下記の番組が出てきた。

www.audible.co.jp

石川善樹さんは、以前オンラインコミュニティで毎月お話を聞く機会があって、いろんなお話を聞かせてもらっていた。

吉田尚記さんも、オンラインコミュニティのリアルイベントにゲストとしていらっしゃって、お話を聞いたことがある。Podcastもいくつか聞いていた。

前回の対談本も読んでいて、すごく好きな本の1冊になった。

 

それでなじみがあったので、上記の番組を聴ききはじめた。善樹さんに以前聞いていた「日本むかし話」の話とか、大変面白く聞いた。以前から、善樹さんがお勧めする本にはハズレがないと思っていて、今回も何冊かポチってしまった。

 

で、途中から、善樹さんのお父さんの話が出てきて、なんと実際にお父さまが登場したのだ。

 

「なんて素敵な人なんだろう!」

 

まず、息子である善樹さんにとても丁寧に接しており、とても謙虚。ご自分のほうがずっと経験が多いはずなのに「息子に教えてもらって」と言っている。

「僻地へ派遣される医者だったから、患者さんから学ぶしかない」

といって、本当に患者さんから学んでいる。そういう人だから、きっと子供(善樹さん)から謙虚に学び続けたに違いない。それがいまも続いているなんて、なんてすごい人なんだろう。今では、善樹さんの本やYouTubeを見て、ノートをとりながら学んでいるという。なんなの。

 

患者さんのためを思って、医療からすると間違ったことも言う。

「(そういうことをするのは)怖いですよ」とも言っていた。怖くても、それが患者さんのためになると思うから、勇気を出して実行する。

他にも、善樹さんがハーバード大学に行くきっかけとなった研究成果は、お父さまの教えや経験があったから、とか。「疲れた」と言ったことがない、とか。

 

立派なことを言う人はたくさんいるけど、身内に、しかも自分の子どもにあんなに丁寧に接することができる人っているんだろうか。本当にびっくりした。

 

きっとご著書などあるんだろう、と探してみたけど、見当たらない。

善樹さんのパワーで、もっといろいろなところでお話を聞いたり、文章を読んだりしたいなと思った。

 

石川雄一さんとの対談が載っている書籍はこちら。