Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

メンタルが落ちているのを認めなくてはならない

メンタルが落ちているなーと感じる。いやなことがあったときに、沈み具合が深く、長い。特に何かのできごとがなくても、沈んでいることもある(というより、日常的にずーっと、少しだけつらいことが存在している)。

 

元気な時にも嫌なことはあるが、わりとすぐに切り替えられ、考え方や視点を変えるのもうまくいく。例えば3日に1回少し嫌なことがあるとして、ぱっと嫌な感じを受けて、少ししたら忘れて、また元気に戻る。だからあまり引きずらない。元気な状態がスタンダード。

 

メンタルが落ちてくると、3日に1回の嫌なことを、うじうじと引きずるようになる。半日くらい気分がすぐれず、そうすると生活全体の6分の1が落ちている状態になる。

 

さらに、嫌なことが3日に1回じゃなくなる。もっと些細なことまでが、なんだか気になってきて、すぐに切り替えられなくなる。累積して3分の1くらいが落ちている状態になる。

 

それでも楽しいことがあると気分が上がっていったりする。それが1日持つので、落ちている状態が3分の1から4分の1くらいに減る感覚がある。

 

そのうち、楽しいことで気分が上がらなくなる。上がってもほんの少しとか。そうなると、3分の1に戻る。気分を上げるすべが見つからず、現実逃避のような状態になる。「○○をしている間は嫌なことを忘れる」という状態。そこまで長時間やるわけにはいかないから、落ちている時間の割合は3分の1からあまり変わらない。

 

そんなこんなで、落ちている状態が多いな、と感じる。落ちている状態である、と自分で気が付かず、涙がこぼれたりする。これはまずいというサインだな、と思う。自分ではどうにもならないから、誰かに救ってほしい、と思う。病院へ行きたい、と思う。

 

病院を探そうと思うも、その時になると今日は元気だ、と感じる。私はメンタルが弱っていなかったのかも? と思い直す。私の勘違いで、相談に行った時に元気だったらうまく話せないだろう。そうして、相談するタイミングを失う。

 

落ちている状態がいよいよ2分の1くらいになると、病院へ行く際にも悪い状態を見せられるかもしれない、と思う。そこでようやく、行こうかな、と思う。そんな流れなのかもしれない。

 

現状は、1/3~1/2くらいが、よくない状態であるように思う。ジャーナリングが良いと聞き、書いたり、録音したりして自分の状態を残しておく。

 

メンタルが落ち始めたのは、去年の9月くらいだった。理由も当てがついている。その時には、自分のメンタルに影響のあるような出来事だとは思わなかった。困ったな、とは思ったけれど、それほどじわじわ自分を傷めていくとは思っていなかった。

 

本当に自分ではわからないうちに、じわじわと締め付けられている感覚。それは、自分の心の持ちようなのだと思うんだけど、それがうまくいっていないので、誰かの力を借りなくてはならない。

バレーボールと文学がつながらない

バレーボールを好きな自分、バレーボールのことを考えている自分と、文学が好きな自分が、なかなかうまくつながらない。

 

バレーばかりしているときにはとても快適で、ちょっと休んでもすぐにバレーがしたいし、バレーに行けばまた元気になり、バレーの人たちと遊びたくなる。

 

でも文学に触れてそのことをじっくり考えたり、内省を深めたりしていると思考がバレーから遠のいてしまい、練習がおっくうになっていく。

 

「仕事 vs 子育て」でもそういうことはあるけど、それはもう長い付き合いなのでずいぶん慣れてきて、「こういう場合は仕方ないな」みたいな納得のしかたもわかっている気がする。

 

「バレー vs 文学」はどちらも趣味なのに(今のところ)、それなのに時間を取り合っていて、頭の中のシェアを奪い合っていて、でも両方ともちゃんとやっていきたくて、複雑な気持ち。

 

そして相乗効果でなにかにいい影響を与えるということが、直感的に考えにくい。そりゃバレーボールの人間関係や人の心理は創作の特にキャラづくりにおいてとても役に立つだろうけど、でもなんか「トーン」とか「雰囲気」「世界観」として統一されないのだ。バレーと文学が。まったく別の世界に存在している別個のものみたいな感じ。

 

バレーのやり始めは、新しい世界を小窓から覗いているみたいで楽しかったけど、どっぷりつかって自分が住人になると、楽しみ方が変わるというか。覗いでいるだけでは済まなくなってくる。

 

文学っていうのは独特の世界観で、なかなか現実世界(?)と相いれないものなのかもしれない。

詩を読む人種

『二十億光年の孤独』と『土間の四十八滝』と有田焼のカップ

世の中は詩を読む人と詩を読まない人に真っ二つに分かれるであろう、たぶん。

日常的に詩を読む人って100人にひとりもいないんじゃないか?

私は読まない人だったけど、少し読んでみたいな、と思った。

それは、やっぱり町田康さんの影響だ。高橋源一郎さんも詩が好きなようで、そのことも心にあった。

 

町田康さんは武蔵野大学で授業をしており、レジュメが公開されている。

https://muscat.musashino-u.ac.jp/portal/slbssbdr.do?value(risyunen)=2023&value(semekikn)=1&value(kougicd)=2100120191&value(crclumcd)=

 

8.    詩を読む① 詩人とはどういう人間か。なにを書こうとしているか。どう書こうとしているか。直観していることはなにか。言葉の流行。「おもろい詩の四条件」について。
予習、事前に読む。
復習、もう一度読む。 

 

9.    詩を読む② 「ライトゲージ」うるし山千尋を読む。詩の技巧。言葉が響くということ。「名辞以前の世界」とはなにか。名詞に感傷的個人的、割とどうでもよい意味を持たせる技法、その他の技法を読む。そのバックグラウンドで作動するOSとしての、作者の世界観を読む。
予習、事前に読む。
復習、詩を書いてみる。 

 

10.    詩を読む③ 中原中也の「サーカス」「朝の歌」萩原朔太郎の「帰郷」「品川観艦式」などを創造的に読み、性格と人生と詩の関係を知り、腹痛による呻きと詩の間にあるものを探る。
予習、事前に読む。
復習、詩を書いてみる。 

 

11.    詩を読む④ 詩を読み、書いて、その根底にあるものが、「かっこいい」もの、またそれとは真逆の、「腹立つもの」であることを知り、その浅薄なるを確認する。そしてそれに気がつかない「いい気」「いい気分」が詩にどんな肯定的な力を与えているかを知る。そのうえで詩を書きたくなれば書き、そして、それを他人に読んでもらいたいと思うか、思わないかを自ら確認し、読んでもらいたい場合はなんらかの方法で読んでもらう。
予習、詩を書く。
復習、詩を読む。 

 

これらの作品は、町田さんが「よい」と思っているものなんだろうと、チェックしておく。

 

また、町田康さんは、『私の文学史』で詩について書いていて、その四条件も書かれている。

 

1.感情の出し方がうまい

2.調べ

3.そいつ自身がおもろい

4.詩の中に書かれている意味内容が正しかったり、役に立ったりする

 

「詩の読み方なんて自由でいい」と言われることもあるけれど、私は詩をどう読んでいいかさっぱりわからなかった。町田さんはいろいろと、詩の読み方を教えてくれている。それなら読めそうかも、と詩集を開いてみたのだ。

詩を読むときは、「わからんけどわかる」でいいらしい。わからなくても、感情が伝わってくる。陽気な感じや寂しさ、虚しさなんかが伝わってくる。まずはそれでいいのかもしれないと思ったし、そう思って読んでみると結構面白いものだな、と。

 

本棚にしまってあった『二十億光年の孤独』を出してきて、『土間の四十八滝』を買って、夫の本棚からヘッセとランボーの詩集を出してきた。

『ヘッセ詩集』『ランボー詩集』