Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

自分はどこに欲求があるか

7歳の子どもと話していると

「やっぱりものづくりはいいよなあ」なんて大人みたいな言い草をしていた。

 

それを夫に話すと、彼はものづくりの本質的な喜びを感じたことはないという。

他のものでは代替できない、ワクワクするような、没頭する気持ち。

子どものころから、そういうのを感じたことがないという。(もちろん、ほどほど好きだし楽しい気持ちはわかるけど、と)

 

私の父親は、プロかと思うほどに日曜大工が上手な人だ。

母は編み物で服を作ったり、かと思えば今はクラフトテープで作るカゴバックの先生になっていたりと、やはりものづくりが好きな人だ。

私もそうで、今は文章を書くことだが、もともとは絵を描いたり工作をしたりといった物理的なものづくりもとても好きだ。

 

人類全体で、そう人って半分くらいいるのかな、と話すと、そんなにいないんじゃない? という。

 

それで、欲求の話になった。

 

夫は、人を育てることに欲求がある。ゲームも、育成型ゲームが好きだったという。

さらに、「教えること」がとにかく好きらしい。

相手にとって、この知識にどんな意味があるかを理路整然と説明し、相手をその気にさせる労力をいとわず、そこまでしても教えたい。

そこに何があるかと聞くと「教えて理解してもらうことで、楽しさを共有できるってことなのかなあ」と言っていた。

 

いや、めちゃくちゃ面白い。

 

共通の知人で、「あの人はこれが欲求で、そこを死守したいからほかでカバーしようとしているんだろう」という話題になった。

人それぞれ、なんとしても譲れない強い欲求があるのかもしれない。

 

「元気がない」に気が付く

私は、メンタルの不調を誰にも気づかれないマン(ウーマン)として定評がある。

 

メンタルが落ちまくりでも仕事では気丈にふるまい、ピシッとインタビューを済ませ、「最近元気がなくて」と友人にカラっと話してしまう。

そしていつも誰にも気づかれない。

オンオフができるから、いったん気持ちの落ち込みを忘れて作業に取り掛かれるのだ。

昔は自分でも気が付かなかった。

20代後半でメンタルの調子を悪くしてからわかるように(注意するように)なってきた。

 

ところが夫は、すぐに気が付く。

付き合っていた当時から、LINEのスタンプで「どうしたの?」と気が付くのだ。

ときどき勘ぐりすぎなこともあるが、8割くらいは当たる。

 

最近は「話さなくても、目を見なくてもわかる」と言い始めた。

しかもグラデーションでわかるので「10をマックス不調だとすると、今は2か3くらい」とわかるというのだ。

 

私は自分でもそこまでわからない。

何か試してみたり、何かできごとがあったり、それを自分の気持ちに投げて返ってくるフィードバックで「あ、結構悪いかも」とやっとわかる。

 

ただその夫も、私を「調子どうかな?」と注意深く気にしていないと、おそらくわからない。

例えば仕事が忙しすぎて自分のことで手いっぱいだと気づかない、ということが起こる。

センサーは万能ではない。

 

それにしても、ずっとずっと気づかれないマン(ウーマン)だった私のそばに、気づいてくれる人がいるということは、世界からの贈与だと考えよう。

言うのが憚られること

私は、今考えていることをいろいろなところに書きつけておきたいタチ。

でも、公の場で言うのが憚られることが、ある。

 

自慢と捉えられかねないものとかは、そうだと思う。

 

例えば最近、「自分は(ある程度)頭がいいのだろうな」と思うようになった。

もちろんそれは程度問題で、誰かよりはよくないし、誰かよりはいい。

それに「頭のよさ」の測り方はあいまいで、私の思っている「頭のよさ」でしかない。

ただ、自分の基準で「これまでの想定より、いいらしい」と思ったのだ。

 

こう思い至った過程とか、根拠とか、そういうものを残しておきたいけれど、

それを誰かが読んだってつまらないどころか、気分が悪くなるのではないかと思う。

 

同じように、「我が子は頭がいい」と、最近思うようになった。

以前は、期待しすぎないよう、親ばかにならないよう、むやみに思わないようにしていた。

でも、客観的にわかっていたほうがいいことはある。

それに、それを認めないようにする私の観念自体、「頭のよさ」の価値を過剰に高くしている証拠だともいえる。

ひとつの個性でしかないのだ。本当は。