Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

「自分の手柄だ」と思う男、自分を過小評価する女

ポッドキャストの収録後

今日、こちらのポッドキャストを配信しました。

「#042 ひとはなぜSNSに投稿するの?」

http://emitochio.net/hantaigo_042/

最後の方にツージーが、「SNSの投稿に反応してもらえると嬉しいよー。中毒性あるよね」と言ったときに私がぽかーん、としてしまってツージーに申し訳なく。

「もっと喜べばいいのに」って言われたんだけど、べつにあまのじゃくでそうしているわけでもなくて。

収録語に少し話したんだけど、こういうことかな? と思うところがあったので。

木に登る人、登らない人

以前こちらの記事を読みました。

note.mu

引用するとこちら。

やっぱり僕は誰かに評価されたら、結構「木に登っちゃう」んです。

で、妻は「木に登らない」んです。どうも自分を過小評価しているんです。

これね。傾向として、男女の違いだと思うわけです。

たとえば、仕事で周りにいる男性を見ていると、これまでやってきたすごいことを「自分の手柄だ」って割と思っている。「自分だけ」ではないことは分かってても、「うん、やっぱり、俺すごい!」って喜ぶわけですね。

私はどうかというと、記事がランキング1位になったとして、それはすごく嬉しいのですが、それを自分の手柄として手放しに喜べないところがある。

「そりゃ、話題の商品を取り上げたからね」とか、「タイミングよくあの企画を思い付いたから」とか、思ってしまう。「たまたまですよ、たまたま」みたいな。謙遜じゃなくて本気で思っているわけです。(でもビジネスや交渉ごとで自分をプレゼンするときには、自分の手柄のように言うよう心がけますが)

で、割と周りの女性も同じようなことを思っているみたい。

詐欺師症候群って何だ?

そんなことを思うようになったのは、こちらの記事から。

www.cinematoday.jp

彼女ほどひどくなくても、女性で詐欺師症候群の傾向がある人は多い、という。

仕事ができないほどにはならないし、過度な期待をかけられているわけではないけれど、私が知っている男性のように「自分の力だ」とは思えない。

 

もう少し冷静に、客観的に、自分の力みたいなものを見極めたいものです。

本の選び方、読み方、扱い方

f:id:emi_tochio:20170122224031j:image先日「本ってどうやって選んでるんですか?」と聞かれたので、選び方だけでなく、付き合い方みたいなものをなんとなくまとめてみる。

書店で選ぶ、Amazonで選ぶ

書店では、目的もなくだらだらと、吸い寄せられるままに手に取り、ぱらぱらと。

そうしてるうちに興味のあるところへ行っているので、買いたければ買うし、買いたくなければ買わない。

あまりに読みやすいスカスカの本は最近買わない。ビジネス書なら、割と権威ある方とか、翻訳ものとかの骨太なやつが多い。

小説は、なかなか買わない。唯一作家買いしてるのが森博嗣さんで、村上春樹さんとかときどき。

Amazonでは、知りたいことについてキーワード検索して、買う。本当は紙がいい。それは家の中でもう一度出会いがあるから。でも値段と中身の兼ね合いでKindleも結構買う。

あとはメルマガとかSNSで知った本はピンポイントでAmazonで買う。本屋は出会いを求めに行くので、決め打ちで買いに行くことはとても少ない。

ハズレも多い

ハズレはもちろんある。途中まで読んでイマイチなら、放っておく。

良ければ一気に読む。毎日隙を見て読む。でも、そんな夢中になれる本はなかなかない。

ブックカバーをしない

ブックカバーをしない。

本屋ではすごく読みたいのに、家に帰って置いておくとイマイチ熱が入らない。それはブックカバーをしてせっかくの装丁を隠してしまっているからに他ならない。

本屋での出会いをもう一度自宅で。そのためにブックカバーはしません。(もともとあるカバーはつけておくよ)

あらゆるところに置く

いろんなところに少しずつ置いてある。リビング、寝室、仕事部屋。それで手が空いた時にぱらぱらと読む。あまり手が開くことはないけど。ただ、手に取りやすいところに置いておくのが大切。

何冊も並行して読む

読み終わってから次の本へ行く、という読み方だと、ハズレに会ったら読書習慣がなくなってしまう。

適当に並行して読み進めれば、読みたいやつをどんどん読むので読書習慣がなくならない。

バッグに1-2冊

いつもバッグに1-2冊入れておく。でも最近はスマホばっかりやってなかなか本が進まなかったりもするけど。。。

ラジオ体操後に読む

ラジオ体操を毎朝するようにしていて、終わると6:40。家族を起こすのが7:00なので、20分間読書するようにしている。ワーママ的にはその20分もなかなか貴重だし、チリも積もればかなって。

本は良質なコンテンツ

本は質が高い。本当に高い。

SNSしている時間を読書に変えれば、もっと生活に深みが増すだろうな。もっと読むようにしよう。

Instagram で本好きを探す!

追加。

インスタに本好きがたくさんいることが判明。

読書家って、いるんだなあと。「読書」とか「本」とか、著者名、タイトルでハッシュタグ付けるのがおすすめです。

読書という孤独な体験で人と繋がれる喜び、ただ単に「こんなに本好きがいるんだ」という驚き、同じ本を読んだ人のリアルな感想が読める楽しさ(やはりSNSAmazonのレビューとは印象が違う)、とかがメリットです。

 

 

 

名前をもらうと霧が晴れていく

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もやっとしていることがあった。

 

「もや」その1:自らの広報活動について

私はある程度の期間匿名でネットにいろいろ書いていたけれど、あるときから実名でやるようになった。なんでだろうか。それは、自己顕示欲とかではおそらくない。

さらに、実名でやるようになった後もしばらく、ブログを自分でシェアしなかった。だけど、それも考えが代わって、自ら告知するようになった

まず周りの人に見てもらうのが大切だとか、誰かに見てもらってこそ仕事ややりたいことにつながるだろうとか、作ったものと「広報として自分」を切り離して考えようとか、いろいろ。でも、なんだかうまく説明できない。

わかっている人に話すと「大事だよね~」って、つながる。多くは語らなくても全貌が見える。だけど、そうじゃない人にはうまく説明できない。

 

だけど先日、キンコン西野さんがこんなことを書いていた。

lineblog.me

書店で見た「Discover Japan」にも書かれていて、「クリエイティブの育児放棄ってあった。作るだけで、届けようとしない。「育児放棄」って言葉がものすごく秀逸で、すごく「ダメなこと」感が出てる。生むだけじゃ、親失格だよね、って。

それですごく、腑に落ちた。自分が救われた気がした。自分が作ったものを「ねえ、見て見て!」って発信することは、なんだか恥ずかしいことのように思ってしまいがち。だけど、それは立派なことであり、むしろやらない人は恥ずべき! みたいなね。

 

「もや」その2:広報活動の方向性について

私は自分をいろんな人に知ってもらって、あわよくばちょっとでも好きになってもらいたいと思っている。

そのためにいろいろ発信をしているのだけど、どうも広がらない。「ブログ好きです」「○○のファンです」的なメールをくださったり、メッセージをくれる方は(本当に少しだけど)ときどきいらして、大変にありがたい。

でもなんか足りなくて、もっと何を頑張ればいいのかよくわからない。

「やっぱり、強いメディアで書かなくちゃダメなのかな」

「書いてるものが面白くないのかな」

なんていろいろと思うんだけど、結局よくわからない。

で、また西野さんのこれ。

lineblog.me

ただ単に知られている人は「認知」のある人、ファンが多いのは「人気」のある人だという。

私は今後、「認知」を広げる努力をしなくてはいけないのかなと。

(だけどどうすればいいのか、まだわかりません。)

 

名前(言葉)によって、もやもやしていたものが、はっきりした。

相変わらずモヤモヤしている部分もあるけど、それをある程度ちゃんと、説明できるのかもしれないと。