Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

「〇〇してきたのはこのためだった」

こういう人になりたいと、心がけてきたこと

なんとなく、ずっと心がけてきたことがあって。

 

ひとつめは、自分の偏見をできるだけなくしたいってこと。

 

例えば、障害者とかLGBTの人に対して。
まず、そういった人を知りたいという気持ちがあって、でも「助けたい」「力になりたい」という気持ちに強く結び付いているわけじゃなく、自分でもなんなのかなーと思っていた。
たぶんそれは「相手を恐れないため」、つまり自分のためなのかなって思ってた。
例えば、電車で大声を出すとか、そういう人を見ると、知識がないと怖いと思ってしまう。だけど、「そういうものなんだ」って知ってれば平気になるでしょう。

 

あとはできるだけ、自分と違ういろいろなことを受け入れたいと思っていて、それも理由はわからないけれど、シャットアウトしたら自分が変わっていくチャンスを失ってしまってもったいないな、という思い。

 

ふたつめは、相手の意見(や行動や罪)と人格を切り離して捉えるってこと。

 

意見はまあわかりやすい。私と違う意見を持っていたとしても、対立するわけじゃないし、ましてや私を嫌っているわけじゃない。逆の立場でも同様だ。

 

あとは行動。私に対して嫌な行動をしたとしても、きっと世の中の全員にそういう態度で接してる人ではないんだろうな、と思う。であれば、その人の全部を否定したくはない。私との間では、うまくいかなかっただけだと考える。

 

罪。罪を憎んで人を憎まずというけれど、人は状況によって頭が冷静に働かないことがいくらでもあるし、そこで罪を犯してしまうこともあるかもしれない。でも、それによってやはりその人全部を否定したり、その人に「罪」のラベルを貼ったりしたくない。(あまりひどい人には会ったことがないので、もちろん絶対に許せないタイプの罪もあると思う。程度の問題だし、境界はいつもグレーである)

 

ほかにも「こういう嫌なところはあるけれど、ここはいいところ」って部分で考えるようにしている。だから逆に言うと、どんなに好きな人でも欠点を言える、みたいなことにもなっちゃうんだけどね。


LGBTの人のカミングアウト

私が以前、小説のプロットとして女性同士の恋愛をテーマに書いたことがある。
それをSNSで見て、連絡してきてくれた遠い友人がいて。


その彼女は、最近になって初めて、恋愛対象が女性であると気がついた人。
私とはそれほど仲良かったわけではなく、友人の友人で、一度会ったことがあるだけだった。

でも、私の創作の助けになるならと、私にカミングアウトしてくれた。
私はレズビアンの人に対して偏見はなかったし、その人が私に対して多少なりの好意を抱いてくれているとわかっていたけど、全然オッケーで、いろんなことを聞いて、いろんなことを笑いあった。

 

「えみさんに初めて言ったけど、全然引かなかったし、受け入れてくれた」みたいにあとから言われて、
そうか、きっとLGBTの人の最初のカミングアウトってすごく大事だよな、とあとから思った。

 

で、私が偏見をできるだけなくして生きていきたいと思ってきたのは「このためだったんだ」って、思ったのね。後付けだとしても、そう思った。


タメ語推進ってどうなの?

コルクラボでタメ語推進委員会を立ち上げた。
すぐタメ語で話す人、すぐ敬語にもどっちゃう人、頑なに敬語の人、いろいろいたけれど、基本的には想定内。
話している相手がタメ語使わないと少し寂しいけれど、最初ビビってたほどの抵抗にはまだあっていない。

 

「タメ語ってどうなのよ?」と思って、決して好意的ではなかった人がいたらしい(それはあとから聞いたんだけど)。でもその人と話す機会に恵まれて、私が普通にタメ語で話して、その人は敬語だった。
それって話をするだけで「タメ語推進には賛同しません」っていう意思表示だとも取れるから、相手にとってはリスキーだよね。


でも普通に楽しく話せて、その人はそれを
「ぼくが敬語で話しても、それはそれで怒られずに、他の人と変わらずに接してくれるのが嬉しかった」
と言ってくれた(でも・・・怒るわけないじゃん!!笑)。

 

その人は「私に対して違う意見を言っても嫌われないだろう」って安心を感じてくれたんだって。で「ぼくはタメ語使ってないですが」みたいに言ってくれた。

 

で、これもまた、私がこれまでに意見(や行動や罪)と人格を切り離して考えるようにしてたのって「このためだったんだ」って、思った。

 

報われた気がした

実はこれが2日連続で起きた。
「報われた」って気がした。
これまで我慢してたわけでもないんだけど、それなりにそういう人になろうと「努力して」きたんだと思う。
自分のためにやってきたことだったんだけど、人に対峙したとたんに「このためだったんだ」って思う。
それってすごくゲンキンだけど、この世界はそういうものなのかもしれない。

 

私と世界はつながっている。
そんな風に思えてきました。

 

強みに「感受性」を入れられるといいんだけど

コルクラボに入ってすぐ、

3つの強みを掛け合わせよう。そのためのあなたの3つの強みを教えて? というような質問(課題)があり、以下の3つを書いた。


1.ライティング力(単なる経験、技術です。インタビュー力含む)
2.小説などを書く感性(これはもっと鍛えなくてはなりません)、本質や普遍を好む性質
3.IT知識、プログラミングの経験、システム屋の経験

 

2は書くのにすごく勇気がいった。

だって「感性」って自分で言うようなものじゃないと思うし、客観的に測りようがないから。

 

だけどコルクラボでは「2」のところをほめてもらうことが多い気がする。

あと、情熱とか心の部分。ほかには、実行力とか?

 

そして「今日の140文字」でも、そんな感想をいただくことが多い。

note.mu

 

安田さんにもらったこのフォーマットはとても私に合っていて、本当によかった。

140文字を、こころで受け止めてくれる人がいて、何人かはそれを私に教えてくれる。

 

それから、コルクラボの人たちは、私がこれまで理解されてこなかった部分を見つけてくれて、しかも、「ここにあったよ!」って吹聴してくれる。なんなんだろうねあれは。

 

私の中で、3つの強みのうち一番自信がなかった「2」は、ここのところじわじわと自信を付けてきている。

感性というより、感受性なのかな。

もっと言うと、「心の状態をより繊細に観察する能力」という感じが近いのかもしれない。

 

今度は、それがちゃんと形になるようにしていきたいなって思う。

2017年を雑に振り返る

2017年、振り返るの難しそうだけどトライしてみる。

なんとなく、時系列で。

週に1回くらい、子どもの「お迎え」をパパにお願いする

昨年まで、ほぼすべてのお迎え~寝かしつけ、をやっていたのだけど、

週に1回くらい夕方以降の仕事が入るようになり、そこを夫に頼むようになった。

今年の後半には、週に2回くらい入ることもザラになった。

夫としては大変なんだと思うんだけど、なんとなく、夫婦として一歩前進したような気がするのは私だけなのかしら。

キャリアインタビューがぐぐっと前進&インタビューの仕事多数

Cafeglobeという媒体でキャリアインタビューをやらせていただいていて、

媒体として、より力を入れてくださるようになり、すごく素敵な方にインタビューさせていただいている。本当に、ありがたいことです。

その他、メインの仕事がほぼインタビューになり、とても快適で、幸せ。

らしさオンラインも「あの媒体いいね」と何人もの人に言われて嬉しい。

仕事はTumblrにまとめている。

emitochio.tumblr.com

インタビューを小説仕立てにする仕事を手がける

会社の創業ヒストリー的なインタビューを、小説仕立てにするという仕事を2件。

どちらも全然違うスタイルで書いた。

「一人称の一話完結型」「三人称のストーリー仕立て」

どちらもよい感想をいただけて、本当に嬉しい限り。

インタビュー原稿とはまったく違う筋肉を使う。趣味で書いていた短編小説が生きる。

書く前は先が見えなくて、面白くなるのかどうかとても不安。伏線やよい展開が思いつくのか、という不安。

だけど「絶対に思いつくはず」と自分を信じる。

そして書いている間、とっても幸せなのだ。

もっとこの仕事を増やしたい。

ICT教育の分野をいくつか手がける

ICT教育の分野を少しずつ仕事で始めていて、マーケットとしては大きいということがわかる。ただ、ICTに寄りすぎると興味が湧かない。「子どもの成長のために」という普遍的なテーマに近いほど、興味が湧く。バランスが難しい。

ポッドキャストの相方が変わる

「クリエイティブの反対語」の相方が変わった。

これは、なんというか、いろんな経験を含んでいる。

これだけ毎回深いことを話していて、ネタが切れなくて、ずっと話しているっていうのはすごいこと。

こういう話(抽象的な対話)がどんだけ好きなんだ! を再確認した。

コルクラボに入る

これは、これだけで1エントリーになるくらい、1エントリーでも書ききれないくらいにいろいろなことがあるんだけど、ひとまず箇条書きにしてみる。

・自分のコメントが、人を安心させることに繋がると知った

・好きなことに熱中すると、人が付いてきてくれると知った(周りの意見を伺っていても付いてきてくれない)

・私は人が好きなのだと知った

・いろんな人が、私のよいところを教えてくれた(余りある褒め言葉にびっくりするばかり)

・自分をさらけ出すことが、誰かのためになると知った

・自分に自信が付いてきた

・自分が変わってきた(どう変わったか、は自分で言葉にするのは難しいし恥ずかしいのでうまく書けない)

「コルクラボの温度」配信スタート

もう1個、ポッドキャストを始めてしまった。

誰かと進める、って面白いし、コツがいる。

「わかりあう」というキーワードをゲット

これはまあいわゆる世紀の大発見。ここに書いたね。

emitochio.hatenablog.com

バレーボール始める

ママさんバレー始めた。スポーツすなわち青春エッセンスの濃いもので人と繋がる。とても楽しい。甘酸っぱい。

矛盾を持ったまま生きていい

今年の半ば、矛盾をどう扱うべきなのか悩んでいた。

・得意と好き

・知性と感性

・現実とポエム

・ロジックと感情

・個と群

全部がわりと両端に触れているので、どうしたもんかなと。

だけどそれでいいし、それ「が」いいんだと、昨年、安田佳生さんに言われて、救われた。

とはいえやっぱりもやもやもやもやしていて、今年もTakram田川さんや、小倉ヒラクさんの発信するもので、勇気が出た。

田川さんからは「振り子のように行き来する。それを高速にしていけばいい」

小倉ヒラクさんからは「矛盾した状態がいちばん自分らしいのだ」

というメッセージ。

さらに、コルクラボで知り合った人たちが「そこがいい」と言ってくれた。

「ちゃんと繊細に生きているのに、ぐいっと前にも踏み出せる」とか、「クールだけど、エモい」とかね(書いてて恥ずかしいわ!)。

 

でもこの両端に振れるのが、ロジカルにインタビューしながら、感情にも訴える小説風の文章を書く、という仕事に繋がるんじゃないかなと思っている。

 

こんな雑なまとめだけど。ないよりましということで!!