Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

ストレングスファインダー2.0をやろうと思ったのだけど

ストレングスファインダーを再度受けようと思って書籍を購入した。

アカウントを以前作っていたので、ログインしてからコードを入力したら……ん? 使えない?

一度やったからいいでしょ、みたいな扱いなのかな?

もう一個アカウントを作るのも気持ち悪くて、それにテストはまったく同じで2回やってもそんなに変わらないというエントリーもあったし、どうしようかなと。

サイトを見ていたら、コードを購入すれば34の資質の順がわかるという。うーん、こっちにしようかな……。

と、ちょっと高かったけど、例えばブラウス買うより価値あるなと自分に言い聞かせて購入してみた。

ワースト5は、以下の通り。

30. 原点思考
原点思考という資質を持つ人は、過去や原型について考えるのが好きです。過去を調べることにより、現在を理解します。
31. 回復志向
回復志向という資質を持つ人は、問題を解決するのが大好きです。どこに問題があるのかを探りあて、それを解決することに長けています。
32. 公平性
公平性という資質を持つ人は、あらゆる人を平等に扱う必要性を確信しています。明確なルールを定め、それに従うことで、世界のすべての人を公平に扱おうとします。
33. 競争性
競争性という資質を持つ人は、自分の進歩を他人と比較します。一番になるため、またコンテストで勝つために、相当な努力をします。
34. 包含
包含という資質を持つ人は、他人を受け入れることができます。人の輪から外れている人に注意を払い、そのような人を輪に入れようと努力します。

人を巻き込んでわーっと何かできる人を羨ましく思いながらも、私にはそういう資質がないかなと思っていたのだけど、その通りだった。ワースト1の「包含」という資質はそういうことができる人のもので、私は苦手だし、そもそもあまり興味がないということなのだろう。

それからワースト2の「競争性」。驚きながらも、納得した。私にだって勝ちたい欲求はあるし、結構負けず嫌いだと思うけど、「勝負」を意識することがすごく嫌いだ。それは負けたくないことの裏返しだと思っていたんだけど、もしかしたらそうなのかもしれないけど、自分と他人を比較したり、勝つために努力するということが苦手なのかもしれない。バレーボールを9年もやっていたのにな。だから強くなれなかったのかなw。

ワースト3の「公平性」。これが弱いって「ひとでなし」みたいじゃないの。これ占いみたいなんだけど、そう言われればそりゃ思い当たるところはある。公平でない扱いを受けたからといって憤りを感じるとか、ずるいとか、あまり思わない方かもしれない。例えば全然スキルのないマネージャーが高く評価されていたとして、でも評価されるコミュ力があったんだから仕方ないじゃん、みたいな? これって公平性をある意味信じているともいえるんだけどね。

ワースト4の「回復思考」。課題を解決しようとする気持ち。確かに、このブログに現れている。課題があっても、ただ考えて考えて、解決を求めない。解決したようで、いや、この問題はもう少し考えようよ、みたいなw ビジネスに向かないのでは。

ワースト5は「原点思考」。確かに、過去にはあまり興味がない。歴史が苦手。考え終わってしまったテーマについて語ることができない(飽きっぽい?)。

 

ちなみにトップ5はこちらなんだけど、仕事で何に使えるのよ? って絶望した覚えがある。全体的に、すごく自己完結的というか。

1. 内省
内省という資質を持つ人は、頭脳活動に多くの時間を費やします。内省的で、自分の頭の中で考えるのが好きで、知的な討論が好きです。
2. 着想
着想という資質を持つ人は、新しいアイデアを考えるのが大好きです。全く異なる現象に見えるものの間に、関連性を見出すことができます。
3. 収集心
収集心という資質を持つ人は、より多くの知識を求める知りたがり屋です。ものを集めたり、あらゆる種類の情報を蓄積したりするのが好きな人が、このタイプに多くみられます。
4. 学習欲
学習欲という資質を持つ人は、学習意欲が旺盛で、常に向上を望んでいます。特に結果よりも学習すること自体に意義を見出します。
5. 達成欲
達成欲という資質を持つ人は、並外れたスタミナがあり、旺盛に仕事に取り組みます。自分が多忙で生産的であることに、大きな満足感を得ます。

1番に「考えるのが好き」って何なの・・・。と思ったけど、今はそれを認めることで、いろいろ道が開けてきたような気もしている。

 

ちなみに、購入した書籍は夫にあげた。テストをやってくれるといいのだけど。

期待と怒りの関係性。期待しないことで消失するもの

「期待しない」はアンガーマネジメントらしい

あまり怒らない方だと思う。

よく「怖い」とか「怒ってる?」と言われるけど、それは私の出口(アウトプット)がどこか壊れているのだ。

あと、独断で我が子に対しては除外する。(子どもに対してはよく怒ってるからw)

 

怒る要因の大きなもののひとつとして「期待」があるのだという。

  • 「わかってくれるはず」と思った(期待)のに、わかってくれない(怒り)
  • やってくれればいい(期待)のに、やってくれない(怒り)
  • 子どもがこう動いてくれれば間に合う(期待)のに、動いてくれない(怒り)
  • 締切までに原稿が来るはず(期待)なのに、来ないじゃないか!(怒り)

期待ってキラキラしているようだけど、「こうあるべきだよね」みたいな静かな常識的なものも含めて考えてよいと思う、この場合。

※この場合おそらく「自分が正しい」と思っているってことが前提。自分は正しくないかもしれないと思ったら、誰かに怒りなんて感じないんじゃないかな。

 

いつからなのか、あまり人に期待しない。

子どもの頃から9年間やっていたバレーボールというチームプレーによるものという気もする。Podcastでも何かのときに話したけど、キャプテンだったんだけと強いチームではなかったし、バレーボールは雰囲気をよくすることで何点もよけいに取れるスポーツなので、「ミスを許す」ということにたくさんの神経を使った。

実は小学生の頃は最悪で、メンバーのミスが続くと怒って試合を投げ出してしまっていたこともある(監督に叱られて当然なんだけど、何も言われなかった)。だからやはり、もともとは怒りっぽいのに、怒らないように(許せるように)努力してきたんだと思う。

 

あとは、何かに期待したときの自分の傷つき具合を受け入れるのがなかなか難しかったので、いつからかいろいろなものに期待しなくなってしまったような気がする。

 

「怒り」は悪なのか?

「怒り」ってなければない方がいいと思っていた。今も自分に関して言うと、ない方がよいと思っている。冷静な判断ができなくなる。

冷静に「あり得ないよね」と思って判断した方がいい。「はたして本当にあり得ないのか?」みたいなことも含めて。

怒ってしまうと、「はたして本当に・・・」が考えられなくなるんじゃないかな。

あと、怒りって、何かのせいにしているよね。そういうのはどうも好きじゃない。

 

だけど、怒りという感情を生み出さないために「期待しない」って、いいことなのか? と最近疑問に思う。

子どもは勝つことだけを期待して、嬉しそうに勝負する。負けたら泣いて怒る。私自身は絶対そんなふうになりたくないけど、子どもにそれがなくなってしまうのは、まずいんじゃないか。

怒りを抑えるために、期待を消滅させようとしている私は、何か大切なものを失ってしまったんじゃないか。

 

社会を変える人

期待しないので、社会に対して怒りがない。

よく言えば、社会のせいにしない、とも言う。

 

社会を変える人って「怒り」から始まるんじゃないか、みたいなことをよく考える。

「保育園落ちた~」の話題とか、フローレンスの駒崎さんとか。

そういう人が「社会が悪いんだ!」って怒って、行動を起こすから、世の中が変わる。

「期待しない」(つまり、「怒らない」)って、やっぱりそんなにいいことじゃないのかもしれない。なんてことを少し、私の「考え」にパラパラと振りかけているところ。そんなにすぐには変われないけど。

あと、それは私の役目ではないと割り切ることもできる。怒る人もいるし、怒らない人もいる。期待する人もいるし、期待しない人もいる。

なぜミニシアターを好むのか

子どもは知っているものしか見ない

Amazonプライムビデオのリモコンを子どもに渡したりすると、知っているものしか見ない。

映画を観ていいよ、と言ったとしても、ドラえもんクレヨンしんちゃん、戦隊モノ……。海外アニメの映画などを見たら? と言っても見ない。ずっと同じのを見ている。

子どもにとって、「面白そう」と「知っている」は密接なつながりがある。

メジャーとマイナー

私はミニシアター系の映画が好き。いわゆるメジャーではなく、マイナー系ということになるんだろう。

で、子どもを見ていてふと、私はなぜミニシアターを好むのか? と考えてみた。どうせ観たことのない映画を観るのに。

・観たいと思うものにミニシアターが多いのか。

・ミニシアターだから観たいと思うのか。

前者のような気もするけれど。

メジャーなものが好きな人

そもそも、メジャーなものが好きな人は、なぜ好きなのか?

・よく目にするものを好きになる(メジャーなものは露出も多い?)

・「好き」とヒット作の傾向がマッチしている(「ベストセラーコード」によるとヒット作には法則があるらしいので映画にも当てはまるんじゃないか)

・「好き」という気持ちにこだわらない(別になんでもいいよ、というか)

・ヒット作を押さえておきたい(きっと面白いだろうから、逃すのはもったいない)

私はこういうタイプじゃないので、完全に想像なんですが。

成功体験が映画を選ばせるのか

いつからミニシアター系が好きになったのだろう。実はよくわからない。

(ミニシアターならいいかというとそういうわけではないのだけど、他に私が好きなジャンルを形容する言葉が見つからない。)

ただ、そもそも読んでいる雑誌とかによって、紹介されている映画が単館ものだったりするわけで。それで「観たい」と思って見に行くと、また単館映画の予告を観ることになる。で、また観る。

それを繰り返していくうちに、私の場合は成功体験が増えた(つまり、面白かった)。

そのため、ミニシアターっぽい予告などを観ると「面白そうだな」と思うようになってしまったのだろうか。

やっぱりそっち系が好みというだけなのか

最近のいわゆる大ヒット作に全く食指が動かず「そもそも映画を観たくないのか私は」などと思っていたところに、観たいと思う映画があった(まだ行けていない)。上映映画館を観たら、東京ではシネスイッチ銀座でしか上映していない。なぜなんだ。

私の中で「ミニシアター=面白い」という式が、(成功体験により)強化されているのは確かだと思うけれど、それにしてもミニシアターだと知らずに観たいと思うこともあるので、やっぱり好みがそっち系なんだろう。

まとまらないけど

結局まとまらないのだけど、私の好みがいろんなところで大衆よりじゃないのは、子どもの頃からあまりテレビを観ていないからじゃないか、なんて気がしてきた。