Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

気持ちを救うための決断

思えばずいぶん更新していなかった。

 

何か書いておいた方がいいかなと思った。

 

決断について、最近よく考える。

人づてに聞いた言葉「決断の数だけ人は強くなる」。

私はこれまで決断してきただろうか。

まあまあしてきた気がする。それはどんな時だったか。

すべて、自分を助けるための決断だった。

ゴールに向かって何かするためではない。

自分の気持ち、傷ついた気持ち、壊れそうになった(あるいは壊れてしまった)気持ち。

それらを救うための決断だった。

 

頭で考える効率的、あるいは合理的なことと、気持ちが向く方向が異なるとき、

気持ちの力があまりに強いなら、

「気持ちを守る」という決断をしなくてはならない。

 

なぜなら、強い気持ちを捻じ曲げることはできないから。

気持ちを守るために、思考を曲げることはできる。

思考を私の味方にする。そうすれば、気持ちと思考は同盟を組むことができる。

 

だけど思考は臆病なのだ。いや、臆病なのは感情の方なのか。

効率的ではない、合理的ではない選択は、リスクを伴う。

怖いと思う。

だけど、決断するしかない。

 

その結果、強さが手に入ると知っていたら、こんなに怖くなかっただろう。

自己紹介文を書くための落書きのような準備

自己紹介があまり好きではない。

立て板に水のように、自己紹介をすることにまったく憧れない。

用意されたセリフを話されても、何も感動しないからだ。どうしたものか。

 

あとは、同じことを話すのがあまり好きではない。たぶんね。

おそらく私は、自分にとって新鮮なことに興味があるのだ。話し終わったことや考え終わったことではなく。

 

それから、自分の特徴はひとつの流れに乗っていないし、型にはめることでいろいろなことを取りこぼしてしまう。型にはめないともっと取りこぼすんだけど、もっと偶然の産物みたいなものを当てにしているのかもしれない。

 

でも、でもだよ。やはり初対面で相手に私のことを伝えられた方が、相手が安心できるのかもしれない。

そう。そうか。自分をよく見せるためじゃなくて、相手を安心させるための自己紹介を考えればいいのかな。

相手が安心する自己紹介ってどんなものだろう。

 

でもとりあえず、自己紹介を考えてみようかなと思ったのだけど……。

 

 

そうしたらサディからツッコミが入った。よくわからなかったので翻訳を全世界にお願いしたら、近くに翻訳してくださった方がいた。

 

 

とても魅力的な問いや思考を、毎日のようにツイートしている宮田さんからリプライいただけるなんて。ありがたき幸せ。

 

自分の仕事をちゃんと考えよう

私の仕事と仕事以外の活動はいろいろと分別できる。

ライター

  • 商業的ライティング(IT系、ICT教育系、子育て系、ブックライティング)
  • インタビュー(誰かの思考や哲学に触れられるインタビュー)
  • 創作系ライティング(取材をもとに小説を書く)
  • さらには上記で、編集する場合もあるし、紙とWebでも分かれる

ポッドキャスター

仕事以外

  • ポッドキャストをいっぱいやってる(音声コンテンツ好き)
  • ブログも結構やってる
  • 「今日の140文字」やってる
  • こども哲学の団体の運営をしている
  • バレーボール
  • 元エンジニア(テック系好き)
  • 「コルクラボ」メンバー
  • 「GIVEの実験室」運営
  • 2人の不登校男児を育てる母

もうどうすればいいのだろう。軸がないから? あれもこれもと思ってしまう。

 

「とは」で考えてみるか……

まず仕事で考えてみよう。私にとって……

 

<商業的ライティングとは>

自分のスキルや得意が役に立ち、そこで得た知識が自分にも役立つお仕事。

 

<インタビューとは>

私の心が揺れ動く、楽しくてためになるお仕事。インタビュースキル、ライティングスキルが活かせるお仕事。

 

<創作系ライティングとは>

スキルアップしたいお仕事。まだまだ未熟なので、もっとスキルを身に着けたい。それから、競合のいない、あるいは非常に少ないお仕事。

 

まとめると、私は3軸で考えている。どうなんだこれ、よいのでは!

・【能力】スキルが使える。役に立つ。

・【衝動】心が動く。やってて楽しい。わくわく。

・【願望】やりたい。目指したい。できるようになりたい。

 

うーん。

……で? としか思えない。自己紹介から離れてしまったとしか思えない(笑)。

いや、これを中心に話してみたらどうなるのだろうか? これに向かって、過去にピンを刺していこうか……。

 

1.【能力軸】スキルが使える。役に立つ。

書こうと思ったけど、能力を分割しないと書けないのでは!

 

<IT系、システム系のスキル>

小6で初めてBASICで遊ぶ。自分でソースを書いて、ショボいゲームを作れるということを学んだ。大学時代に情報工学科で、プログラミングにわくわくした。ものを作れること、ロジカルにものを考えるのが楽しかった。エンジニア(ITコンサルタント)として就職。業務アプリを担当し、業務から要件定義をして、システムの仕様書に落としていく作業はハードだったが刺激的だった。ライターになってからはコンシューマー系を中心にIT系の記事を多く執筆。オタク気質があるが、ガジェットよりもアプリケーションの仕様などに興味が強い。iPhoneの仕様などはワクワクする。システム開発をしていた経験から、BtoB系の記事を書くこともある。

 

 

<ライティングスキル(雑誌、Web、書籍、その他)>

小5から本格的に日記をつけ始める。それ以前も物語などを書いてはいた。日記の頻度には波があり、途中からブログになったり、デジタルになったりはするが今もずっとつけ続けている。30歳の時にエンジニアの職を捨て、自分を見つめ直す。ずっと好きで続けているものは、自分の文章を書くことと本を読むことだと発見する。読むことは仕事にならなそうなので、書くことを仕事にしようと考えた。ハワイに短期留学して、これも書く練習だと、ほぼ毎日、わかりやすさを心掛けたブログを書いていた。エンジニア時代から考えると、崖から飛び降りるようにライターになり、はや十余年。毎週社内で文章講座を実施しているという生真面目な編集プロダクションで、守破離の「守」を長年続けるという修行のような日々。まだ紙の仕事が多かったのもあり、ひたすら師匠の教えを守っていた。1年足らずでギャラは歩合制になり、その中から後輩にギャラを支払って教え育てるという制度に従う。実績としては執筆が多いものの編集もやる。雑誌、ムック、Web、書籍とひととおり。モノ中心だが撮影の段取りや、自分でブツ撮りも少々。ライターの仕事をしながらも、自分の考えを記す自分のためのブログはやめられない。仕事に直結するようなブログを進められるも、まったく食指が動かない。

※この後の実績はいくらでも羅列できるけど、それがどうしたというのだろう。

 

<子育ての知識>

<ICT教育系の知識>

<インタビュースキル>

 

↑ダメだもう限界。果たして書けるのだろうか……。(続く)

 

 

 

この後は、次回予告♪

2.【衝動】心が動く。やってて楽しい。わくわく。

3.【願望】やりたい。目指したい。できるようになりたい。

ものを覚えることの価値

ものを覚えることに価値を感じなかった。興味もなかった。

頭ではわかる。覚えた方がいい。だけど気持ちがついていかない。気持ちが乗らないと、頭でわかっていることも実行に移せない。

いろいろと本を読んでも、概念として頭に残す。ものの名前は取るに足らないと思っているフシがあった。

 

知識があることは何がいいのか

まず、知識が豊富な人をカッコいいと思うか。

確かに思う。正確に言うと、思っているつもりだった。

 

ただし「知識があるから、その知識を人に話せる」「人を楽しませられる」「賢そうに見える」「仕事ができそうにみえる(実際できるのかも)」……それくらいでは、私の行動を変えることはできなかった。

自分自身が、知識を人に話したり、知識によって人を楽しませたりすることに魅力を感じないのだ。

 

「知識がある」=「マップラバー」に置き換えて考える

マップヘイタ―とマップラバーという分類がある。「動的平衡」を提唱している福岡伸一さんのご著書に書かれているらしい(私はラジオでしか聞いたことがない)。

下記のブログで書いたけどとてもわかりにくい(笑)。

emitochio.hatenablog.com

大事なところだけ引用。

福岡さんは著書の中で百貨店の例を出しているらしい。マップラバーはまず全体図を知る。フロアガイドなんかを見る。短時間で目的地に付ける。マップヘイターは適当に歩く。ふらふら探す。最終的に目的地には着くけれど、マップラバーより何倍も遅くなる。

私はそこまでマップヘイタ―ではないけれど、近い場所だけを見て全体感を把握せずに動くことが多い。

例えば、電車に乗るときは出発駅と乗換駅と到着駅しか把握しないし、乗り終えたらあっという間に忘れてしまう。おそらく、薄い霧の中を歩いているような感じだ。進む方向はわかるし、目印はときどき出てくるのだけど、遠くまで見えないし、何となく不安だ。

 

新しい世界があるような予感がした

周囲からの影響もあり、理屈ではなく、ものを覚えると新しい世界が見えるような「予感」がした。

安心感が変わった

試しに、取材で初めて行く場所に降り立つとき、初めて乗る電車の、通る駅すべてを覚えてみようと思い立った。

子どものころ住んでいた場所の近くということもあり、知っている駅名もあったのでそれなりに覚えられた。

帰路。ぼーっと電車に乗っていたのだが「あれどこまで来たかな」とふと駅名を確認した時に「どの辺まで来ているかわかる」という事実と、それによる安心感に驚いた。当然調べればわかるのだが、瞬時にわかることにより、こんなにも世界ははっきりと見える

興味が変わった

いつも乗っている電車も、実は全部の駅の順序を覚えていない。それで、覚えることにした。じっと駅の看板を見る。順番を把握する。すると、降りて歩いてみたくなった。きっと隣の駅と人の多さなんかは似ているんじゃないか。商店街はあるのだろうか。古いお店は? 降りて歩いてみたら、もっとその駅を忘れずに覚えられるに違いない。

こうして、興味の幅が増えるんだという驚き。世界が広がる。私の意識の枝葉が広がっていくのを感じた。

味わい方が変わった

ニュースで知らない人が登場する。知らない言葉が出てくる。聞いたことはあるけど説明はできない言葉が出てくる。そんな時に調べるようにしてみた。ウィキペディア最強。

もちろん、読んでも全然覚えられない。だけど、少しは頭に残る。誰かに聞いただけだと、霧の中にいるようだ。だけど自分で調べれば、地図を手に入れたように感じる。知らないことをさらに調べても恥ずかしくない(聞くのは恥ずかしいことがある)。

できごとに彩が生まれる。今遭遇しているできごとをひとつひとつ見つめて、味わうようになる。

ここで知ったことが、どこかでつながるかもしれないという予感。

予測するようになる

ものを覚えようとすると「予測する」ということが分かった。覚えているか確かめたいから、頭の中で答えを予測する。それから、あっているか確かめる。あっていなかったら改めて覚える。

仮説を立てるのはとても役立つ習慣で、それは、ものごとを記憶しようとする日常から身に付けることができるかもしれない。

 

何かを捨てることにもなる

私はこれまで、音楽を聞くときに歌詞の意味を考えないし、映画を見て監督の意図を探ったりしないし、小説を読んであらすじを振り返ったりしないで生きてきた。

そうしたいと思っていたからだ。

できるだけ思考を止めて、感覚的に受け止めたいと思っていた。今もそういう気持ちはある。

これからいろいろなことを覚えたり調べたりするようになったら、感覚的なものを純粋に受け取る心持ちは少し削がれてしまうと思う。

だけど、覚えたことの先に新しい感覚、感情、触り心地のようなものはあるはずで、そういうものを体験したいと思っている。

行動を変えるということは、今までの行動を捨てるということだ。それはきっと何か目に見えないものを捨てている。それでも、少し変わってみたいなと思っている。