「友だち」というものが、いまだによくわからない。
友だちを作り、維持するのがそれほど得意ではないと思う。
自分からあまり誘えないタイプだ。
これまでもそんな思いをいくつか書いてきたように思う。
でも、「カテゴリー」を見ると、「友だち」がない(執筆時点)。このブログを書き終えたら作ろうと思う。
友だちが大事なことはわかっている。
なぜなら、友だちがいないと孤独で生きて行けないから。
寂しくて死んでしまうから。
これはセーフティネット的な意味がある。死なないための、防御策。
友だちがいると、心が安定する。
いやなことが自分の中で小さくなり、やがて消えていく。
同じことでも、仲の良い友だちと共有すればもっと楽しくなる。
これはエンタメ的な意味がある。人生をより楽しくする何か。
なんとなく、そんな風に思っていた。
『グッド・ライフ』という本を読んだ。
これは、徹頭徹尾「幸せになるには人間関係が大事だ」と書かれている本。
第10章が、友情に関する章だった。
そのなかでいくつか、哲学者の言葉が紹介されている。
「友人がいなければ、だれも生きることを選ばないだろう」
「友人を作る目的は何か? この人のためなら死ねるという相手、地の果てまでついていこうと思える相手をもつためだ」
ローマ帝国の哲学者セネカ
目からうろこだったのは、セネカの言葉だ。
友だちは私の人生を良くしてくれる、と受け身だった私。
だがセネカが言うのは、愛するための友人、ということなのだろう。
人を愛することは尊く、人生に充実感をもたらしてくれる。
そういう目で友人のことを見てみようと思う。