Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

よりかかろうとするリスク

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人に頼ることができないのは、ひとえにこの4コマ目を恐れているから。

頼ろうとする時点でバランスを崩しているので、誰かに支えてもらえなければ倒れてしまう。

 

これを怖がらない人は強いと思う。

倒れた後でも行ってしまう人を呼び止められる人も強い。

 

あと、「よいパターン」だとしても、その人が「仕方ないなあ」なんて気持ちになっていることがわかったら、たぶん耐えられない。

 

なので実は、ひとりで立っていられるうちに、誰かに「よりかからせて」って言うのがよいと思うんだけどなかなかね・・・。

「自己肯定感」についてまだ考え足りていない

先日、ポッドキャストで自己肯定感について2回も使って話した。

emitochio.net

emitochio.net

私は、自分が自己肯定感が低いような気がする。それはなぜなのか。と考えてこのテーマを提案したんだけど、話してみて

「そんなに低くないんじゃない?」

という結論になったようだ。

だけどやっぱり、低い気がする。

(かつ、「自己肯定感」と「自信」は別モノだと思っている)

どんなときに自己肯定感が低いと感じるか?

なぜ自分の自己肯定感が低いと感じるのか? 自己肯定感について語られている文章(主にツイッター)を見たときが多いかな。例えばこんなの。

「自己肯定感が高い人は、人の評価に一喜一憂しない」

→人の評価を気にせず行動する勇気は付いてきたと思うけど、すごく一喜一憂する。すごく喜ぶし、まあまあ落ち込む。落ち込むから、自分を売り込むのが大変に恐怖。

「自己肯定感が高い人は、ネガティブな感情でいる自分も認められる」

→落ち込んでいる自分の受け止めるのすごく難しい。嫉妬や悲しみや怒り、ぜんぶそう。そういう自分を遠くにやってしまおうとする。

「自己評価が低い人は、押しに弱い」

→うんまあ、弱いと思う。

やっぱり本を読む

敏感すぎるあなたが7日間で自己肯定感をあげる方法

 

私が敏感すぎるかは置いといて、「自己肯定感」で検索して一番上に出てきたのと、レビューもよかったので購入した。

ひとつめのキーワード「恥ずかしい」

まだ全部読んでいないけれど、こんなことが書いてあったのですよ奥さん!

行動の基準が「恥ずかしくないかどうか」ですから、自分に軸がない状態です。

自分に軸がないというのは、他人に軸がある状態で、ふらふらしてしまうのだそう。

だけど過去にこんなことをツイートしていた。まずい。 

 あと、昔から問題意識を持って戦っていた。(割と劣勢な戦い)

emitochio.hatenablog.com

「恥ずかしい 」って、すごくやっかいだった・・・。

ふたつ目のキーワード「目立ちたくない」

あとはこんなことも書かれていた。

「みんなと同じ程度がいい」「目立つくらいなら地味でおとなしくしておいた方がいい」といった気持になってしまいます。 

 これもすごく実感があって、こういうのとか。(これもなかなか劣勢)

emitochio.hatenablog.com

つまり、人より突出して入れあげているとか、出しゃばっているとか、目立っているという状況にすごく不安を感じてしまう。

目立ちたくないっていうと、「どの口が言ってやがる!!」ってたぶん思われるだろう。

だってブログも書いているしポッドキャストやっているし細々と読モやってるし、アイコン顔写真にしているし。

 

でもこれ「物書きとして知名度を上げるため」なんだよね。本来、ブログもTwitterも匿名だったし、昔はホームページも絶対誰にもバレないようにやっていた。

あとは「好きなこと」を細かくたくさんやるため。

好きなことをたくさんして、それが私の周りにくっついていると、ブランディングというと大げさだけど、それを見てくれる人が増えて、私が書いたものも読んでくれるかなとか、そういう動機。

 

もともとの私はたぶん、何かをするにも、「みんなはこれくらいかな?」と思いながら、やる。

エレベーターだってエスカレーターだって駅の改札だって、一番前に行きたくない。道を歩くときも先頭を歩いていると不安になる(関係ないかも・・・)。だいたいみんなに紛れて真ん中あたりでありたい。

 

ただ、いまは少し克服していて、セミナーとかは一番前に座るようにしているし(それが一番お得だと思うから)、エスカレーターだって一番前でも勇気出して乗るよ!

で、どうすりゃいいのよ?

誰かに話そうと思ったんだけどやっぱり話せない。なのでブログに書いてみた。

本はまだ2章くらい(つまりワークの2日目くらい)しか読んでいないのだけど、今後、自己肯定感を向上させるワークに進むらしい。

だから来週になったら、私の自己肯定感はぐぐぐっと上がっているはず! お楽しみに!

気づいてから理屈を語れても、理屈から気づくことはできない

この本のプロローグがすごく好きなのです。

第1感「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい

内容はこんな感じ。

 

ある歴史的な「像」が発掘された。過去にも同じような像が何体か発見されたことがあったが損傷が激しく、今回はほぼ完全体。本物であれば相当な価値がある。

美術館の鑑定チームは14カ月かけて細かく調べ上げ「本物」という判断を下した。

ところが、さまざまな美術の専門家の多くが、ひと目見て「何かがおかしい」と感じたという。その感想はさまざまで「爪がおかしい」「新しい」「ガラス越しに見ているようだ」など、いずれも過去に何体も発掘されたことのあるものを再度見たときの感想としてはおかしなもの。

今も美術館のカタログにはその像が載っていて「紀元前530年前、あるいは現代の模倣品」と書かれているらしい。

あとから調べたところ、現代の技術でその像のような模倣品を作ることは可能なのだという。

  

この「最初の2秒」を文章に対して考えたい。

文章のおかしさをどうやって気づくか

ある程度の技術があれば、いまいちな文章はすぐにわかる。

プロでも好みがいろいろあって「たり」を2回使う人もいるし、1回しか使わない人もいる。そういうわかりやすいところではない。

エッセイみたいなものでは難しいかもしれない。好みもあるからね。

ただ、商業的な文章を読んでいると、イマイチな文章は途中でひっかかる。それこそ2秒くらいで引っかかる。

引っかかった文章を読み返してみると、理由がわかる。「を」がダブっている。主語と述語がねじれている。「こと」が多すぎる。語尾がダブっている。リズムがおかしい。前の文章と繋がっていない。話が何度も前後する。などなど。

ただ、気づいたその瞬間には理由はわかっていないのだ。

何かがおかしい。がわかるだけ。

気がついても説明できない

おそらくだけど、気づいたけど説明できない、という人は多いと思う。本をたくさん読んでいる人なら「この文章は読みにくい」と気づくかもしれない。

また、読みにくいのか、面白くないのかよくわからないままに、読み進めるのが辛くなってしまうこともあるだろう。

私が思うに、多くの人はこういう状態だと思うのだ。

だから「読み手はちゃんとわかる」んだと思う。私はそう思っている。

 

「読者はバカだと思え」みたいな言い方をする人がいる。それは誤りだ。言語化できなくても、読者はわかっている。少なくとも私はそう思う。

たぶん、おかしな文章を2秒読んで、おかしいな? と感じる。

無意識下で「おかしいな? だけど読みたいからもう少し読んでみよう。あれ、またおかしいな? ・・・もう限界」ってなって、読むのをやめるんじゃないだろうか。

(ただし、自分が書いた文章について「おかしいな?」と気づけるスキルはまた別)

プロなら説明できる

たぶん、プロなら理屈で語れる。なぜこの文章がおかしいのか。

だって、おかしな文章をいやってほど直してきたから。自分の文章だって、おかしいことは多い。というか、ちょっと書けばだいたいおかしな文章がある。だから推敲するわけだ。

冷静になって読み返すと、おかしいところがわかる。

理屈で考えて、おかしな部分を直す。

直した文章がおかしくないか、もう一度チェックする(別の箇所がおかしくなることも多い)。

以下繰り返し。

理屈から気づくことができるか

理屈を全部覚えたら、気づけるようになるのか? それはたぶん、できない。最初に紹介した美術館の鑑定スタッフと同じだ。

どうやって私たちは文章を理解しているのかよくわからないけれど、「気づく」→「理屈」の順番は崩せない。逆のパターンはないと思う。

ただ、理屈を学んでおくことは助けになると思う。それはやっぱり、気づいたときに理屈を説明できる方が強いから。

 

どうすれば気づけるようになるのか。経験を積むしかないのだろうか。

果たして何の経験を積めばいいのだろうか。

誰か知っている人いますか?