Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

出しゃばるのはみっともないのか

小さなころは、もうありとあらゆることに出しゃばっていたような気がする。

だけどいつからか出しゃばることはみっともないと思うようになった。

だけど、「いつからか」なんて本当は嘘っぱちで、実はおそらくあれだろうな、という経験がある。でもまあ、ここでは省略する(本題になかなか入れなくなってしまう)。

 

ただ、たいていの人は似たようなことを思っていると思う。小学校高学年くらいから「みっともない」と思って自分を抑えるようなこと。私はその気持ちをとても美しいと思ってはいるのだけど。ときどきいろいろなことの邪魔になるよね。

 

自分をマイノリティと思うか?

最近、みっともないと思う気持ちを放り投げて「やっちゃえば?」って思うことが多い。

 

先日、こども哲学の勉強会に出席して、大人同士で哲学対話をした。話の流れが「自分をマイノリティと思うかどうか?」みたいなところになり、私はこう答えた

「たぶん自分をマイノリティと思ったことはない。学校では先生たちの期待に応えるのがまあまあ上手いほうだったし。ただ、出しゃばってはいけない、だいたい普通くらいにとどめよう、と思って行動のスピードを抑えたりするようなことは往々にしてあった。つまり『ふつう』を目指すというか。でも最近はそれを気にせず『一番張り切っててもいいじゃない』と思えるようになった」

 

そこで「なんで最近は気にしないようになったのですか?」と聞かれて、うーんやっぱりコルクラボなのかなあ、と思った。

 

コメントが相手に安心を与える

出しゃばれなかったのは、出しゃばることで受ける不利益があったからなんだと思う。

周囲に引かれたり、「痛い人」と思われたり、もろもろ。

 

だけど、コルクラボで最初に学んだのは「私のコメントが、誰かの安心安全を作っている」っていうこと。

それまで私は、SNSのコメントを積極的に書く人は「自分も書いてほしいから先に与えている」のだと思っていた。目をつむって「いいね」を押すような・・・。

そういうのに拒否感があったから、誰かへのリプライやコメントは、すごく書きたいときにしか書いていなかった。しかも、私のほうがコメントが多かったらちょっと恥ずかしいような寂しいような気もしていた。

 

だけどそうじゃない。

自分の利益のためじゃなくて、コメントすることで、相手に安心を与えることができる。

それは価値観がすごく変わったことだった。

 

さらけ出す人えらいぞ、というスタンス

コルクラボでは、「さらけ出す」ことが良しとされている。

人に言えないことを話したり、やりたいことをやったり、さらにはやりすぎたり・・・。

さらにみんながお互いの安心安全を確保しようと考えているから、さらけ出した人に対してあたたかい。

だからそこで私は「出しゃばってもいいんじゃね?」と思えるようになっていて、それは踏み出したときに誰かが受け止めてくれるだろう、という安心感があるんだと思う。

たとえ受け止めてくれなくても、引きはしないんじゃない? とかそういう。

 

安全ネットのつもりがそうじゃなかった

私がこれまで、出しゃばらないように抑えたり、目立たないように気を付けたりしていたのは、きっと安心安全がなかったからなんだろうな、って思った。

安心安全な場を持っている人は、これまでにちゃんと作って来たか、取りに行っていたんだろう。私は「そんなものなくていいのでは」とか言って強がって、作る努力をしてこなかったんじゃないか。

 

最後の一人になるのは嫌だから、「いつでも抜けられるよ」みたいなスタンスを装う。

つけこまれるのが嫌だから、「全然依存なんてしてないよ」という振りをする。

 

先を見て安全ネットを張っていたつもりが、実は自分を安全ではない場に追いやっていたなんてね。

「褒められノート」のすすめ

あなたは、これまでにどれくらい、どんな言葉で褒められたか覚えていますか?

 

「褒められノート」について、好意的なリアクションあったので書いておく!

 

自己肯定感高めるために、褒められノートを書くのだ。

私はさかのぼれば2016年10月から書いている(けっこう最近だった・・・!)。

もっと前から書いておけばよかった!

 

Evernoteでひとつノートを作り、タイトルに「褒められノート」と書き、お気に入りの☆を付けておく。(そうするとすぐに呼び出せる)

 

次のようなフォーマットで書く。

 

======
<相手の名前><日付>
<内容>
例)とっち―はめちゃめちゃ感受性が豊かで・・・(云々)
======
<相手の名前><日付>
<内容>
例)栃尾さんからセンスをすごく感じます・・・(云々)
======

 

いつでもどこでも読み返せなければならない。

(ちなみに今日は2人分も更新した)

内面でも容姿でも、何でもかんでも入れておく。

(昨日の褒められを入れ忘れていたのであとで更新する)

※「栃尾さんを褒めるとノートに書かれちゃうのかーやだな」とか思わなくて大丈夫。誰にも見せないから安心して褒めて!!

 

ちなみに私はこれ以外にも、

「似ている(似てる)といわれたことのある芸能人まとめ」

というノートも作って☆を付けている(大恥)。

これはググって拾った芸能人の方の写真も張り付け。同じ人が2回被ったら「2回目」とか書く。

 

嬉しかったことを誰かに自慢しても「フーン(それで?)」って言われてしまう。

それなら、自分だけでホクホクと何度も楽しむのがおすすめ。

 

読み返すと自己肯定感高まる気がするし、元気出るし、自分の良いところをますます伸ばそうという気持ちになるし、とにかくおすすめ!

(最近、自分のキャラが変わってきている気がするけどそのうち戻ると思う!)

仕事をしながらどうやって子育てするか

「仕事をしながらどうやって子育てしてるんですか」って漠然と聞かれて漠然と答えた。

ということを書き記しておきたい。少しでも誰かの役に立つといいなと、思っています。

 

(1)人と比べない

子育てをしながら働くと、子育てをしないで働いている人と比べて、仕事の成長スピードは落ちる。

落ちないとかいう人いるけど、そんなのは幻想だと思う。

かけている時間が半分くらいになることもあるわけだから。

(仕事のスピードじゃないよ、成長のスピードね)

 

そこで落とさないようにしようとするとつらい。同期に先行かれちゃうとか、後輩に抜かされちゃうとか考え始めるとつらい。

だけど、人と比較しなければ何ともない。比較する軸を変えるだけでもいい。

仕事というひとつのベクトルでは、確かに少し遅れを取るかもしれない。

でも、子育てという別のベクトルでは、スポンジのようにどんどん吸収して、どんどん成長している。

だから気にしなくていい。それができるかどうか。

きっとできる。

 

(2)優先度を見極める

ツイッターにも書いたけど、仕事がやばいのに、子どもが熱を出した。

本当にどうにもならないんだけど、どれも取ろうとすると、自分の睡眠が削られる。

削ってしまうと、イライラして子どもに当たる。

あるいは疲れて体力が落ちて家族が共倒れ(地獄絵図)。

あるいは体調を崩さなくてもメンタルを崩すことがある。

そうなると、命にかかわる。

 

あとは、子どもとの大事な用事をキャンセルして仕事をすればいいかもしれない。

だけどそれは、子どもの人生にどれくらいの影響を与えるだろうか。イベントの重要度によっては、人生にかかわるかもしれない。

 

仕事相手にごめんなさいするとき、相手に迷惑をかけてしまうのが申し訳ないのか、あるいは自分の評価を下げたくないだけなのか、考える必要がある。

得てして、後者のことがある。

評価を下げたくないだけなら、そこの優先度は下げていい、と判断できるかどうか。

 

完璧な答えはない。優先度は数字で見えるわけじゃないから。

だからその都度、考える必要がある。瞬時に考えなくてはいけないこともある。

例えば、大事な仕事に行く10分前に子どもの熱が判明することだってある。

その時にいくつかのパターンとバックアップとを、優先度も踏まえて考えられるかどうか。

 

そう思うと、子育てって仕事のスキルもすごく上げてくれそう。

「仕事だけ」より、よほどチャレンジングなのかもしれない。

 

大変だけど、そういうことが分かっていれば、子育ては大変楽しい。

無条件で愛し愛される。

長い時間をかけて、かけがえのないものになっていく。