Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

面倒くさがりだから寂しくなる

運動するのは面倒だ。

体にいいとわかっていても、めんどくさい。

やり始めたら楽しいのはそれなりにわかっている。

でも、面倒だし続けるのは結構大変。

 

着替えて、準備をして、外に出て、走る。

荷物を持って、出かけて、ジムで運動する。

どれもこれも面倒。

もちろん、やり始めれば楽しい。

 

ただときどき、とてもやりたい運動もある。

スキーに行きたい! テニスしたい! とかね。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

私はこれを、人付き合いでも発揮してしまう。

 

人付き合いは面倒だ。

心にいいとわかっていても、めんどくさい。

会って話せば楽しいのはそれなりにわかっている。

でも、面倒だし続けるのは結構大変。

 

着替えて、準備をして、外に出て、待ち合わせる。

荷物を持って、出かけて、一緒にご飯を食べる。

どれもこれも面倒。

もちろん、会って話せばとても楽しい。

 

ただときどき、とても出かけたいこともある。

飲み会に行きたい! 乗り遅れたくない! とかね。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

運動しないと不健康になるように、

人に会わないと寂しくなる。

 

ただ「健康でいるために運動する」はいいけど、

「寂しくならないために人と会う」ってあまり大きな声で言えない。

周囲の人に申し訳ない気がしてしまう。

きっと、相手も嫌だよね……。

 

だけど、寂しがり屋の人って得てして面倒くさがりだと思うんだよね。

だって、面倒くさがりじゃなければ寂しくなる前に人に会えるじゃん?

どうかな~?

 

かけがえのないもの

どこから書いたらいいのだろう。

 

先日友人とランチした。

彼女は10歳くらい歳が違っていて、

私のことを「大好き」といつも言ってくれていて、

いつもいつも私を肯定してくれる。

ただそれでいて、自分に知識があることはちゃんとアドバイスしてくれる。

3人の子どものママで、私はその子どもたちもとてもとても大好き。

 

私はコミュニティに属していて、

そこでたくさんの人とコミュニケーションをして、

愛に包まれるという経験をした。

だけど、3桁の人数がいるその場所で、私の活動が少し鈍ったからといって何にも影響はない。

自分から動かないと、なにも跳ね返ってこない。

心の中で「気づいて」って叫んでいる、子どもみたいな自分が恥ずかしい。

 

そんな時だから、彼女が「どうしてる?」とときどき気にしてくれるのはとても嬉しくて。

ランチの時間に誘ったら彼女も空いていて、一緒にお昼を食べた。

 

自分のことや家族のことをたくさん話して、

彼女もいろいろ話してくれて。

ずっとずっと話が尽きなくて、彼女の前ならすごく素直に話せて。

何を言っても好きでいてくれるんだろうなって。

「それは大変だよね!」「気が休まらないじゃん!」「わかるよー!」って、いろんな気持ちを受け止めてくれた。

私がツイッターで書いていることも覚えていて「あれ、大丈夫?」って言ってくれたり。

とても表情豊かでニコニコしていて、すごく癒される。

 

少し前に、信頼している人に

「キミに今必要なのは、なんでも受け入れてくれる人だよ」って言われて、

ああこんなに近くに居たんだなって思った。

 

彼女は「わたしにとっては友だちってすごくかけがえのないもの」って言っていて、

ああ、この人をとてもとても大切にしようって思った。

 

今まで、女友達に対してそんなに心を開いた覚えがなくて。

大きく期待をしない代わりに、そんなに傷つきもしない。

ずっと長く続いている友人もあまりいない。

 

だけど今私はけっこう大変なときで、

そんな時にこんな素敵な友人ができたってことは、

かみさまからのプレゼントだなって思った。

 

思えば私はいろいろと運がよくて、

そういえば他にもたくさんの素敵な出会いがある。

私の場合は、折り返し地点からが人生だなって思う。

 

もうすぐゾロ目の年齢になります笑。

わがままを言うと見捨てられる

「わがままを言うと見捨てられる」という感覚があるようだ。

 

久しぶりに、言葉を頭に浮かべるだけで涙があふれる感覚。

2年ほど前に「わかりあいたい」という欲求を見つけたときと似ている。

これは何か、心の深いところにあるものだという直感。

 

私の周りにいる多くの人は私をそうは思わないだろう。

わがままを言いながら、好きなことを好き勝手やっている人に見えるだろう。

でもまあ、人からどう見えるかはひとまず置いておこう。

 

好きな人に対して怒る感覚がわからない

昔から不思議だった。

恋人や好きな人に対して本気で怒る人は、なぜ怒れるんだろう?

好きな人なのにどうして本当に頭にくるんだろう?

失うことは怖くないんだろうか?

 

私が本当に怒るのは、別れを覚悟した時だった。

(怒るっていうより、言いたいこと言ってしまえ、という感覚かな)

怒っても愛してもらえる、という実感がないのかもしれない。

 

欲しいものを欲しいと言わない子供時代

父から聞いたエピソード。私はすっかり忘れていたけれど。

 

「おもちゃ売り場に行きたいというので、江美と一緒に行った。『何も買わないよ』という約束をして。おもちゃを見ていて、すごくほしそうにひとつのおもちゃを何度も手に取っている。でもひとことも『ほしい』と言わない。たまりかねて『買ってあげようか』と言ったら驚いて、すごく喜んでいた」

 

これを聞いただけで、私は涙があふれてしまった(そして書いている今もぼろぼろ泣いている)。

何歳くらいかわからないけれど、おもちゃ売り場に行くくらいだから大きくても小学校低学年くらいだろう。

そんな子どもが、欲しいものを欲しいと言わずに我慢していたのだ。

ちなみに、父は約束を破ったからといって怒るようなタイプの人ではない。怒られる恐怖からではない何かが、私を抑制していたのだ。

 

自分の欲求を言えない

今も、相手の事情を勝手に考えて、勝手に自分の欲求を抑制してしまうことが多い。

それは取るに足らない欲求だったら問題ない。

たとえば、パスタよりピザが食べたかったとか、あっちの席の方がよかったとか、そういうやつ。

 

でも、もう少し自分の話を聞いてほしかったとか、もう少し一緒にいたかったとか、そういうウェットなやつは、積み重なると問題なのかもしれない。

仕事が大変なんだなとか、話したい事情あるよねわかるよとか、勝手に事情を推測して、自分の欲求をなかなか言えない。

 

どうして、「こうしてほしい」と言えないのだろうか。

 

わがままを言うと愛されなくなる

わがままを言うと、相手が私に対してすっと冷たくなることがある。

特に、相手に余裕がなかったり、事情があるときはそうだ。

それは普通の反応だし、別におかしくない。

だけど私は不用意に傷ついて、なぜだか忘れられない。

 

さらには、そこで私への愛情が薄らぐと勝手に思ってしまう。

「マイナス3ポイント」みたいな感じ。

それが重なると、私に対する愛や興味がすっかりなくなると思っている。

誰も、わがままを言う人とあえてコミュニケーションを取りたいとは思わないだろう。

 

余裕があるときは「頼ってくれて嬉しい」と思うかもしれない。

でも、余裕がない時や事情があるときに、それを喜ぶ人はとても少ない。

 

愛されなくなると見捨てられる

私だけが相手のことを好きで、相手が私をどうでもよくなってしまったら、

それは「見捨てられる」ってことだ。

 

わがままを言うと見捨てられる。

なぜかそう思っているのだ。

 

簡単に考えれば、家庭環境は大きいのかもしれない。

「わがままを言っても見捨てられない」という感覚を育てるのは

家庭でしかできないんじゃないだろうか。

 

自分の子どもに対しては、わがままを言える。

子どもは私を見捨てない。それは、私がいないと生きていけないからだ。

だけど、大きくなったらどうなのだろう。

見捨てられるかもしれないと思ってしまうのだろうか。

そんなのいやだな。