Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

ただただ自分の話を聞いてほしい

これはとても大切な自己矛盾の話。

 

実は私は、人の話を奪って自分の話をする人が昔から好きではない。これは程度問題で、誰だって人の話から自分のことを想起して話をするものだ。だから、私にもそういうところはあるし、だれしもそういうところはある。

なぜだろうと考えると、人の気持ちを考えないからとか、自分勝手だとか、いろいろなことが考えられるけど、結局は私が傷ついたことがあるからなんだと思う。

大切なことを話したいと思って話し始めたのに、話し終わる前に自分の話をされてしまう。 しかも、私きっかけでただ「思い出しただけ」の、まったく関係のない、面白くもない話。とてもとても、ないがしろにされた気がする。

私はきっと、自分の話を聞いてほしかったのだ。

私は、相手が私の話を聞きたいと思っているのか、結構気にするタイプのようだ。聴きたいと思っていない人にひたすら話し続けるような、恥ずかしい思いはしたくない。

だから、だいたい相手とのバランスを見て、自分の話す量が多くならないように気を付ける。相手がそれほど聞きたくないとしても、バランスが取れていれば恥ずかしくないからだ(その考え方が恥ずかしいけれど)。

自分ばかり話す人が好きじゃないのに、私がそういう人になるわけにはいかない。話し続ける人が好きじゃないから、話し続ける人にはなれないのだ。本当は、たくさん話して、たくさんわかってほしいのにもかかわらず。

そんな私がどうにもならなくて始めたのが、文章を書くことだったのかもしれない。文章を書く理由はきっとたくさんあるのだけど、その中のひとつなんだと思う。

誰も聞いてくれないからとかじゃなくて、たくさん話す自分になりたくないから、誰も読まない日記や、読みたい人が勝手に読んでくれるブログに書いているんじゃないだろうか。

 

離れて行ってしまう気がして怖い

わがままを言うと見捨てられる

私1「わがままを言うと、見捨てられるような気がするんだよね」

私2「そういう体験があるの?」

私1「あまり覚えていない。子どもの頃からわがままを言わなかったらしい。その頃から『見捨てられる』と思っていたのかな」

私2「なんでわがまま言わなかったんだろうね」

私1「母親が怖かったのはある。『○○するとゲンコツ』ってよく言われていたし、実際されていた。あと、『○○が欲しい』と言わない子供だったみたいなんだよね」

私2「怖いからなのかな」

私1「でも、『欲しい』なんて、怒られるわけじゃないじゃん。きっと、諦めていたんだと思うんだよね。言っても無駄だ、って」

私2「どうして無駄だと思ったんだろう?」

私1「これはあくまで予想だけど、なにか『欲しい』とか『したい』とか、そういうことを言って叶ったことがないのかもね」

私2「それと『見捨てられる』は直接的につながる感じがあまりしないね」

私1「確かにね。何なんだろう」

自分の方が愛が強いと離れられる

私1「わがままだけじゃなくて、『私の愛が相手より強いと、相手が離れて行ってしまう』という恐怖が結構強いみたいなんだよね」

私2「そういう体験があったの?」

私1「たぶん、ないと思う」

私2「じゃあ、どうしてそう思うんだろうね?」

私1「考えたんだけど、相手が私に感じている興味関心をすごく敏感に感じてしまうか、感じ取ろうとするんだと思う。私が愛情を強く出してしまうと、少し相手に余裕が出て、私に向かっていたベクトルが弱くなるんだよね」

私2「まあ、そういうことはあるだろうね」

私1「そういう小さな出来事が積み重なって、いずれは私から離れてしまうんじゃないかと思うのかな」

私2「そういう恐怖があると、どういう行動に出るの?」

私1「自分の方が愛情が強いってことを、悟られないようにする。相手が離れて行かないように」

私2「臆病なんだね」

私1「そうだね」

小さな積み重ねが怖い

私1「大きなできごとじゃなくて、そういう小さな積み重ねが、恐怖心を生み出している気がする。わがままを言って相手が少し冷たくなったり、愛情を示し過ぎて相手が引いてしまったり。そんなことを繰り返していると、相手の中に積み重なって私から離れてしまうんじゃないかと」

私2「相手を嫌な気持ちにしたくない、とかじゃないんだね」

私1「そうだね、あくまでも自分のためだと思う。相手を嫌な気持ちにすることで私から離れてしまうってことが怖いんだろうね」

私2「そんなのをいつも気にしてたら、大変じゃない?」

私1「うーん、無意識に気にしちゃってる。大変なのかもしれない。だから人に対して受け身なのかもしれない。自分から誘えるようになったのはここ最近」

私2「わがままをいったり、強い愛を示して、その時にふっと相手の反応が弱くなっても、離れていくわけじゃないっていう経験をした方がいいのかもね」

私1「なるほどね。怖いけど、やってみないといけないね。離れていってしまうことを勝手に想像していたから……。そうじゃないって体でわかれば、怖くなくなるかもしれない」

わかってもらえない感と孤独感、わがままと欲求

「わかってもらえてない感」と「わかってもらいたい欲」が強いという話をしたら、即座に「孤独感が強い感じ?」って言われた。

私はその2つを直結させていなかったから、即座に自分の中で繋がったその感覚にすごく驚いた。

 

わかってもらえていないと、自分の周りに見えないフィルムができて、世界と断絶しているように感じるのだ。

 

だけど「わかってもらいたい」なんてすごく独りよがりだし、子どもっぽいし、わがまま。そんなものが自分にとって大切だなんて、思わないようにしてきた。

 

わがままを言ってはいけない

わがままを言ってはいけないって、ずっと思っていた。これをしてほしい、あれをしてほしい、をあまり言わなかった、ものすごく手のかからない子どもだったらしい。

 

ただ、自分でそんなに我慢している自覚もなかった。わがままを言わないことが美徳だと、いつからか、子どもながらに思っていたのではないだろうか。

 

わがままを言うと怒られるとかじゃなくて、本当の気持ちを言って受け止めてもらえなかったら傷つく。もしかしたらただそれを、昔も今も恐れているのかもしれない。

 

「わかってもらいたい」なんてもってのほか。自分の気持ちを誰かに向けてがっかりするより、日記にぶつけることを選んだ。

 

球を投げるたびに受け取ってもらえず拾いにいく徒労を考えたら、少なくとも跳ね返してはくれる壁に向かって投げた方がましだ。

 

欲求を知られると恥ずかしい

知られたくないと思っている欲求や欲望のようなもの。それを知られるととても恥ずかしい。

 

例えば、小学校のときの好きな男の子でもいい。本当はずっとその人とばかり話したいけど、それが知られたらとても恥ずかしい。

 

まだ帰って欲しくないとか、本当は会いたいとか、本当は聞いてほしいとか、本当は好きになってほしいとか、そんなことを知られたら恥ずかしいから、何ともないふりをする。

 

恥ずかしいというのは、やはり心が傷ついているのだ。見せたくない裸を見られたら、やはり傷つく。

 

だから、欲求を隠す癖がついてしまったのだろうか。あるいは、欲求を見ないようにしているうちに、重いふたを被せて開かなくしてしまったのだろうか。

 

わかってもらえない孤独

孤独と寂しさは、私の中でかなり近いものだ。

わがままと欲求も、とても似ている。

 

わかってもらえないと、孤独を感じる。

 

私はこんな感じだから、孤独と戦う日々に自分を追い詰めてしまったのだろうか。