Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

「寂しい」の対義語は何なのか

結婚したのだけど、結婚したことにより寂しいということはある。

 

にぎやかな場所に行って、より寂しさを感じるというのに似ているだろうか。

私は孤独が人生最大の敵だと思ってきた。孤独を避けるためだけに生活していると言っても言い過ぎではないかもしれない。

結婚は孤独であるわけではないけれど寂しい。何が違うのだろうか。

 

そろそろ七夕らしいので、願いごとに何を書こうか考える。

「寂しくない人生を生きられますように」

と書きたいと思った。

 

「白くまのことを考えるな」という話がある。

「白くまのことを考えるな」と言われたととたん、人は白くまのことを考えてしまう。「○○を考えるな」ということはムリなのだという話。

 

私の願いは白くまの話と同じなのではないか。

つまり、白くまのことを考えたくなければ白くまとは全く関係のないことを考えなくてはならない。「なぜ日本でイノベーションが生まれないのか」くらいには逆(逆と言えるのかは謎)のテーマを立てなくてはならない。

 

だから短冊には、「寂しい」の対義語を書く必要があるのだ。

寂しいの対義語を考えてみる。ググってみると「にぎやか」と書かれていた。まったく違う。

ということはつまり、対義語としては存在しないのだろう。

 

意味で考える。

寂しいとはどういう状態か、心の中が満たされていないこと。何か空虚なものがあること。

では「満たされている」が対義語なのかと言うと、自分を満たすためのあらゆるものが含まれるので、これは広くなりすぎる。

例えば「おなかがすいている」も「満たされていない」状態なわけで。

短冊に「満たされた人生を生きられますように」では、「いつもお腹がいっぱいでありますように」とも言える。意味が広すぎる。

 

以前寂しいについてさんざん考えたことがある。

それは「つながりがない」ということだった。

 

前の家には小さな庭があった。そこに梅の木や柚子の木、ムクゲの花があり、毎日のように鳥が遊びに来ていた。

毎日の変化を眺めることで、寂しさが溶けていくのをわずかながら感じていた。

今の家に引っ越して便利にはなったが、自然がないことで、何かとのつながりが断たれた気がしている。おそらくそれは、生命とか自然とか四季とか、そういうものだと思う。だから切り花を欠かさないようにしているけれど、それでは足りないのかもしれない。

 

結婚したことで、外とのつながりが減ったような気がする。

気がするだけなんだろうか。

いや、気のせいだけではないだろう。

 

私は、一晩泊めてくれるような友だちがいるだろうか、と考えた。

あの人は……と考えてみるも、どうだろう。

言ってみようかと思ったけれど、「その日ダメなんだよね」と言われたらかなりショックを受けることが自分でも分かった。

 

寂しくなってからでは遅いのだ。

寂しくならないうちに、ショックを受けない体力があるうちに、人を誘わなくてはならないし、人と会わなくてはならない。

寂しくなってからでは動けなくなってしまう。誰かの「都合が悪い」にショックを受けるようでは誰も誘えない。

 

つまり「寂しい状態」の反対は「つながりで満たされている」とういことなのだろう。

少なくとも私の場合はそうだ。

それは太い一本のつながりでもいいかもしれない。でもそれではリスクが大きすぎるので、安定するためにはある程度の太さのいくつかのつながり。

さらには細いたくさんのつながりがあるといい。

 

SNS時代はたくさんの人とつながれるので、私にとっては以前よりずっといい。

日常的に野菜を食べるように、

定期的に運動をするように、

しっかりと睡眠をとるように、

欠かさす忘れずつながりを維持しなくてはならない。

 

それを感覚的にやっていたけれど、ルーティンに組み込むといいのではないか、と今思いついた。

以前は、「電流ランチ」という企画をしていて、話していて電流が流れそうな人をランチに誘う試みをしていた。

目標は週にひとりで、仕事ついでに会いたい人の近くにいってランチをするのだ。

 

「時間が足りない」と言っている場合ではない。

野菜を食べたり、運動をしたり、睡眠をとるのと同じ。

人とのつながりを維持することは生死にかかわることなのだ、おそらく。

 

短冊に書くのは

「つながりの維持を継続できますように」

ということかな。

 

「keep in touch」って、いい言葉だよね。

芸は磨かれる(寄席に行った話)

寄席に行った。

 

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朝、ツイッターたまたまこのツイートを発見した。

 

 

神田伯山さんのラジオが好きで毎週聞いている。講談も少し動画などで聞くようになったが、リアルで見たことはない。

 

私は池袋界隈に住んでいるので、このツイートを見て「歩いて行けるじゃん!」と夫に教えたところ「行こう! 並ぶかもしれないから今すぐ様子見に行こう」となった。

 

夫は落語が好きで(寄席はほとんど行かないらしいが)、YouTube志ん朝を中心によく聞いていて、歴史とか文化とかの知識も豊富。私はその話をよく聞いていたことと、ラジオ『問わず語りの神田伯山』を聞いて「落語エリート教育」をスタートし始めたこと、東京ポッド許可局の流れでサンキュータツオさんの「しぶらく」のPodcast「まくら」を以前よく聞いていたことなどが重なり、落語も興味津々。

 

「落語エリート教育」についてはこちら↓

 

 

私のメモによると、

1.立川志の輔のCDを買うか借りるかして、5席ほど聞く(YouTubeで聞いちゃダメ)

2.古今亭志ん朝のCDを同じく買うか借りるかして、10席ほど聞く(同じくYouTubeはダメ)

3.三遊亭圓生を1年間聞きづ続ける(100席くらい)

というステップ。

 

私は志の輔を2席借りて聞いて、そのあと志の輔CDを予約したけれど保管期間が過ぎてしまって予約が無効になり、「予約してまた流れたら嫌だから」と大きめ図書館に行ったら臨時休館で、別の図書館に行ったら志の輔が1枚もなく、伯山先生の教えを破ってステップ2の志ん朝に進んでしまった←イマココ。

 

背景の説明が長すぎたので寄席の話に戻る。

 

私たち夫婦は金曜日をお休みにしている(夫の仕事の都合で日曜日が休めずに金曜日を休みにしていて、私もそれに合わせている)。さらに、その日は子どもと区民プールに行こうと予定していたが、夫がワクチン接種による左腕の激痛によりあきらめざるを得なかった。そんなできごとが重なって、朝から近所の寄席に行くというラッキーをゲットしたのだった。

 

チケットの買い方から調べる。誰かのブログで「当日、窓口に行って買うしかないらしい」と知る。初心者はそういう当たり前のことも知らないのだけど、公式HPには書かれていないよね。

 

10時半ごろ行ったら2人並んでいた。ただ、どっち側に並べばいいかもよくわからないしなんだか不安。近くの喫茶店に入り、「もう少し列が進んだら並ぼう」と決めて、ケーキセットを頼み、チラチラと外を見ながらケーキを食べ、そのあと30分間ペア読書した。読書した後外を見ると「うわ、めちゃめちゃ並んでる!」とすぐに外に出て並ぶ。30人目くらいだったかな。私たちの後ろに並んだ人に「ここが最後尾ですか」と聞かれ、風貌が短髪とメガネの50歳くらいの男性で、視線がぐっと落ち着き払っていてただならぬ雰囲気を醸し出していると思ったけれど、私がそう思っただけかしら。

 

落語も講談も、全部思い出せるけど全部面白かったなあ。落語本編よりも、まくらに経験が表れやすいのではないかと思った。どういうネタにするか、それをどう喋るか、どれくらいお客さんをいじるか、みたいなことは、おそらく落語を練習するのとはわけが違うのだろう。

 

出る人出る人「伯山目当てなんでしょ?」みたいに、神田伯山をいじるのがおもしろい。神田伯山はさすがだった。自然に引き込まれてしまうし、自然に笑ってしまう。出演者が何人も出てくるけど、それぞれの人の絵が浮かぶ。ほかの人に比べて体が大きいというのも多少はあるかもしれないけど、登場人物が高座から前に出てくるようなイメージ。時間配分が難しそうだったけど、それも面白くまとめてしまう。

 

その日は笑福亭羽光(うこう)と三遊亭小笑(こしょう)の真打昇進のお披露目会だったから、夫から聞いていた口上もあった。真打に昇進する人の師匠や関係者が出て横並びになり「こいつをよろしくおねがいします」みたいに言う。バカにして下げて、こいつはすごいと上げる。そういう愛のあるやりとりがとても素敵だ。

 

ベテランになるほど、安心してみていられるし、やっぱり面白くて非常に洗練されている。話し方も、動きも、何もかも美しい。

ペア読書が楽しい

2~3週間ほど前から夫とペア読書をしている。

夫婦でやるといいのは、時間が最小限で済んだり、共通言語が積み重なっていくことかもしれない。

 

ペア読書のやり方はこちらに詳しく載っているので参考にした。

note.com

 

これは、同時に本を読むので、一緒にやる人同士、それぞれ本を持っている必要がある。読書会と一緒か。

 

最初は「2冊揃えるのもね……」と思ってKindle Unlimitedで選んでいたが、先日「前も読んだ『イシューからはじめよ』もう一度読みたい」と夫が言うのでそれでやることにした。

余談だが、私も改めて買おうと思ったら、昔セールの時にKindleで購入していたらしい。

その後、『ストーリーとしての競争戦略』でやったりもした。

 

私はKindleで読んでいる。スピーディにめくる必要があるので、iPadを使用。

 

30分で読もうとすると、必然的に「1ページこれくらいでめくらないといけない」というスピードが逆算される。それにより、「このページを数秒しか見られない」という圧力がかかって、集中力が高まる。

速読には何度もチャレンジしては挫折していたけれど、これをやると必然的に速読できるようになるな、というのが何度かやってみた印象。実際できている。

実際、他の本も速く読むことに抵抗がなくなり、実際速く読めるようになった。(ちなみに「速く読む」というのは、「これくらい飛ばしても内容が把握できる」という体験と自信を持つこととニアリーイコールであると思う。すなわちそれは読み飛ばす勇気なのだ)

ただ、ペア読書ではなく自分ひとりで速く読もうとしても、かなり集中力のようなものは落ちる。

 

読書後のディスカッションのために、各所にマーカーを引いておく。引いたマーカーを見直して、なぜそこが気になったのかを話す。結構話せるものだし、相手が話していることを聞くのも理解が深まる。

このやり方をすれば、苦手だった読書レビューみたいなものも書けるなと思った。気になった箇所を抜き出して、それについて自分の感想や見解を書けばいいのだ。

 

「なかなか本を読めない自分」になってからずいぶん経つが、1時間で本を消化していける生活はとてもとても快適だということを記していきたい。

 

インプットは当然薄まる。それぞれ丁寧に読むこむことができないから。

でも、その分アウトプットが増える。

私はこれを機に、ブクログに読書レビューを書けるようになった(これまでとても苦手だった)。

 

↓これとか。

booklog.jp

 

こういうブログの記事もそうだけど、完璧を求めて終わらないよりは、完成度が低くても終わらせることに意味がある。読書も同じだったのだ。(さすがに物語を読むときはこの限りではない)