見返りを求めたらみっともないから、与えることをセーブする
私は「見返りを求めたらみっともない」と思っていて、あとは期待してがっかりするのがすごく嫌で、人に与えるのをセーブしていた。たぶんずっとずっと。
だけど、人のために与えるのが究極の幸せだと言っている本とかが結構あって、どういうことかとあまり腑に落ちなくて、きっと世の中には自分のために生きる人と、人のために生きる人の2種類がいるんだろうと思ってた。
コルクラボに入って、まずは周りの人のことが好きになって、だからいろいろやるのも苦にならなくて、それ以上にいろいろもらってるなーって思ってて、まだ大丈夫だな、みたいに思ってる自分がいた。
つまり「まだ尽くしてるなんて気持ちになってない」「まだマイナスじゃない」「結局は自分のためにやってるし」みたいな。
でもそれって、結局与えるものともらえるものを比較して収支がマイナスにならないように調整してるんだよね。でもまあ自分はそういうタイプなんだろうと思ってた。
無限に与えられるかもしれない考え方?
ここからは私が「これなら無限に与えられるかもしれない(期待♡)」と思った気持ちの変わり方。
一緒にポッドキャストやってる安田佳生さんに「人の役に立つことをするだけでいい」ってずっと言われてたけどよくわらず。
でも、ずっとわかろうとしていた。
安田さんは「人の役に立てば戻ってくる。それが世界の法則だ」と、よく言っていた。
この間、コルクのサディ(佐渡島庸平さん)に「とっちーが自分のため、と言ってブログ(このLow Kick)を書いているのは、『読まれなくてもいいや』って、傷つかないための言い訳なんだよ」って言われて。
それ知ってた〜(グサグサグサ)って思った。
「言い訳しないでギブすれば戻ってくるよ」って、言われた。
でもそれじゃあ結局リターンを期待して動くことになる。
だから難しいなーって思ってた。
いままでもらったものを世の中に返すだけでいい
安田さんのポッドキャスト聞いてくれている会ったことない人に、Facebookで「栃尾さんもこれまで先人にたくさん与えられて来たはず。だからそれを他の人に返すだけでいいんですよ」的なことを言われた。
それを聞いて、なんだ、私はずっとずっと、もうマイナスになり得ないくらいにプラスなんだ、と腑に落ちた。
だから、私が与えられるものは、傷つくのを恐れず人に「伝えよう」とすることなのかなと。
そう思ったあとに公開したのがヒラクさんのことを書いたnoteの以下の記事で、できるだけ、いろんな人が理解できるように、文脈を端折らずに書いたつもり。
腑に落ちたほやほやの思考の流れなので、とりとめもないけれど……。たぶん私は「与える」ってことをようやく「知った」ところなので、これから「わかった」になろうとしてるんだと思う。