バイオリズムってあるよね。
実はよく知らないけど、私の感覚としては、「最近本が読めないな」とか「人に会いたい時期だな」とか、そういうの。
私はコルクラボというコミュニティに入ってから、しばらくずっとコルクラボに夢中で、楽しいし幸せだし、そこに時間をたくさん使っていた。
だけど、これは「今だから」なんだろうなと、少し予感していた。
幸せだけれど、それで食べられるわけじゃない。楽しいけれど、永遠に刺激的でいられるわけじゃない。
でも、そういう時期だから、夢中になって楽しもう、ってそういう思いだった。
今は、少し距離を置いて見ていることが増えたかも。寂しいけれど、すべてを手に持っておくことはできない。
読むものや参加するものを絞る
楽しそうなものはいくらでもある。だけど、すべてに参加することはできない。
読みたい本はたくさんある。でも、全部を読むことはできない。
いつからか、いくら「読みたい!」と思っても、私の今の興味に即していないと、積読になるだけだということが分かった。読んでいる途中で、別のことに興味が向かってしまう。
読み切ることができないのに一時感じた「読みたい!」は、「焦り」なのかもしれない。例えば「他の人が読んでいるものを私も知っておかなくてはならない」とかね。それはまあ、どうせ読めないから手放すことにした。
だから、本を買うときには、「私が『今、興味あるもの』かどうか」「本当に信頼できる人がお勧めしているかどうか」で選ぶ。
信頼できる人、っていうのは、人として信頼しているとかではなく、私のことをある程度わかってお勧めしてくれているとか、今までその人のお勧めにアタリが多かったとか、そういう信頼。
今の興味を整理する
今の私の興味を整理したい。
- 愛にまつわる感情や心理について(『愛するということ』『恋愛的瞬間』『愛着障害の克服』『存在の耐えられない軽さ』など)
- 子育てや教育に関すること(モンテッソーリ関係、フィンランド関係など)
- 受験に関すること(『二月の勝者』など)※これにはちょっと理由がある
- 英語を理解し、話せるようになること
- 声に関することやサービス
書いてみて驚いたけど、興味あるジャンルはとても少ないではないか!
一方で、最近読んだ本はこれとは全然違う。興味のあることを追いかけなくてはだめだ。
私が興味のある「具体」とは
加えて、何かひとつの「具体」を追いかけたいと思った。発酵デザイナーの小倉ヒラクさんを見ていると、発酵に夢中になると同時に、発酵を通して世界を見ている。
私の興味はあまり「具体」には向かない。でも、憧れてやまない小倉ヒラクさんのように、狭い世界の具体を通して世界(本質)を知りたい。
本質につながる具体は、生命を感じるものであるはずという直感。発酵はまさにそのひとつ。例えば受験は、具体でありながら、生命を感じはしない。
たまたま、神楽坂の街を散歩しながら、今興味があることをひとつひとつ思い返してみた。いずれも、なんだか抽象的なのだ。
その中で肌触りが違うものがあった。これだと思った。「植物」だ。結局、すぐさま何かの役に立つものではないけれど、仕方ない。
読みたかったこれは、まだ買ってもいないけど、何かあるという気がしている。
とても心に残ったSwitchインタビューの稲垣栄洋さんは、雑草のことを語っていて、植物に関する沢山の本を書かれている。雑草は、森では生きられないらしい。ほかの植物に負けてしまうのだそう。人間の居るところに生えるのが、雑草の生存戦略なのだと。だから、コンクリートを突き破って生えてくるのは、彼らにとっては森から「逃げて」いるにすぎないのだろうと私は感じた。
また、最近、街中の草花をたくさん見るようになってきた。見て、調べてみたりする。
だからなんとなく、このタイミングかな、と思った。
稲垣さんのご著書を何冊か読んでみよう。まずはこれがおもしろそう。仏教も結構興味があるんだよね。
『なぜ仏像はハスの花の上に座っているのか 仏教と植物の切っても切れない66の関係』
興味は途中で止まってしまうかもしれない。別のことに向かうかもしれない。
でも、もしかしたら昨日感じた肌触りが、今後の私を少し変えるかもしれない。