Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

ポッドキャストとは古き良きなにか

ポッドキャストに残る郷愁について考えてみたい。

アプリが使いにくい

ポッドキャストは、まずアプリ(iPhone純正)がどうも使いにくい。

もう、どこが使いにくいかということすらよくわからない。

シェアしづらい

FacebookTwitterでの「シェア」とは相性が悪いようだ。

一応シェアできるんだけど、「このクールなエピソードを聞いてください」みたいなテキストが自動で貼り付けられるというヒドイ有様。

音声メディアはザッピングできない

またこれは「音声」というメディアの特性なのだろうと思うけど、ザッピング(死語で言うネットサーフィン?)がしづらい。

テレビやウェブ(テキスト)と違って、ぱっと見で「面白そう」が判断できないのだ。

さらに、テレビやウェブと違って、耳だけがあればいいのでじっと画面を見ているわけではない。

聞いている最中に別のことをしているから、局を変えるという行為が非常にメンドイ。

 

ラジオ好きな人ならわかると思うけど、ラジオを聞く人は基本、どこかの局を付けっぱなしにしている。

あるいは、深夜何時はこの局、昼はここ、みたいに決まっている。

その都度面白い番組を探す、ということが非常に困難なのが、音声の特長。

だから逆に言うと、面白い番組に出逢ったら、ずっと聞く。「あなたに付いていきます!」って思う。

メディアにファンが付く

実は、ポッドキャストには一昔前のメディアの状態がまだ残っている。

一昔前のメディアとは何だったのか。すなわち「メディア名」で記事を読んでいた時代。

  • an・anのファンが、an・anを買ってその中の記事を読む。
  • 日経新聞を購読し、毎日その記事を読む。
  • お気に入りのメディアをブックマークし、毎日循環する。
  • RSSにお気に入りメディアを登録し、毎日新着記事を消費する。

ところが時代は変わって、現在は以下の通り。

  • Twitterで回ってきた記事を読む(メディア名は知らない)
  • Facebookでシェアされた記事をチラリ(タイトルだけ見ていいねする。もちろんメディア名は知らない)
  • NewsPics(昔はグノシー)の記事を読む(元ネタなんて気にしない)

だけど、ポッドキャストは「購読」が基本。つまり聞き続ける。

毎回検索するのは骨が折れる。ハズす可能性が高い。

だから、おおむね60点以上なら、購読を続ける。結果、「メディア」にファンが固定され、ファンは同じ「メディア」をずっと聴くことになる。1本ごとの記事が独立しているウェブとは対極的な構造。

時間の問題かもしれないけど

ポッドキャストがウェブのようになるのは、もしかしたら時間の問題かもしれない。

実際、radikoは過去の番組を探して、聞きたいものだけ聞ける。まだまだインタフェースは使いづらいところもあるけど、これからもっと向上するだろう。

ポッドキャストApple次第なのかな。ずっと放置され続けているんだけど、インタフェースがよくなれば、広める力が増えると思うんだけどね。

よい外部サービスが爆発すればよくて、SoudCloudは使いやすそうだけど、まだどうも周知されていないような。そもそもPodcastを聴く人が少ないからね。

SEO会社とかが来る世界にはなったらやだな

正直、ポッドキャストはゆるい。

昔のApp Storeや、昔のウェブみたいだ。素人がランキング上位に行くことも多い。

だけど今のApp Storeやウェブは、資金をかけないとなかなか上位に行けない。それは、そこに金をかけるほどの価値があるからだろう。

ポッドキャストは、拡散力が低いし、ユーザー数が少ないから、企業がまだまだ入ってこない。

 

だから、やっぱり昔のインターネットみたいだ。

ひねくれを確信している

「5分以内に正解がわかった人は○○」みたいなやつをやるのがすごーくヤダ。

 

すごくやりたい衝動に駆られて、

「もしかしたら自分頭いいかも」という気持ちをくすぐられ、

「でも平均くらいだったら悔しいし」みたいな恐れを抱かされ、

「そんなこと思うぐらいなら絶対やるまい!」と思い、

「これをシェアした人は自分の頭良さを自慢したいんだろうなー」と疑い、

「でも、ちょっと考えて解けたらすごいかも……」とチラ見する。

そんなことがぐるぐる渦巻くのが本当にイヤだ!

どうせだったら本気で考えてやってみて玉砕すればいいのに、「ひねくれ」がそれを許さない。

 

ストレングスファインダーで「競争性」がワースト2なのはこういう意味なのだろうか?

違う気がするんだけど。

誕生日を迎えまして

先日誕生日を迎えまして、新しい年齢になりました。

別に年齢は隠していないんだけど、普通に「○歳です」と言ってしまうと微妙な(聞いちゃいけないこと聞いたみたいな)空気になる、と最近気がついたので、知りたい人は調べていただくとして。

(でももうこの際、40歳も50歳も変わらないよなと思うこのごろ)

 

以前、取材で「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」に行ったことがありまして。下記はその時書いた記事。

iko-yo.net

書いたのは、2015年らしい。つまりは、次男が生まれて1年が経ち、仕事に復帰して半年くらい、というところかな。

このときは、年の初めでお正月仕様のプログラム。お参りをしたり、書き初めをしたり。真っ暗闇の中で1文字書く。その時私が選んだ文字は

「創」

でした。その時は自分自身が「創(=クリエイティブ?)」にはほど遠くて、憧れだけがあるような感じ。

それからずいぶん景色が変わり、WordPressで自分のホームページを作ったり、短編小説を書いてnoteに公開したり、Podcast番組を始めたり、子ども哲学の活動をお手伝いしたり、創作的な文章を書く仕事を少し始めたりして、いつのまにか「創」にずいぶん近づいているような。

最近やりたいことをたくさんやって、死ぬ直前の後悔ネタがずいぶん減っているのではないかと感じるこのごろ。

 

この1年の抱負は、もっと「創」な活動を増やすこと。さらには「創」で稼げる領域を見つける(広げる)こと。そんな感じかな。