Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

名作と言われる物語を読む

最近話題になる本は、小説というのはまずなくて、いわゆる「ビジネス書」になる。ビジネス書というのは本当のことを著者の都合のいいように切り取ったもので、登場した当初(「7つの習慣」とか?)は初めて見る知見がたくさんあったのだろうけど、もはやいろいろなものの焼き直しを見て、もとあったものを思い出す作業になっている。つまり、面白くないのだ。本を読めなくなっていることは、本が面白くないということに起因しているのかも。

 

そんな風に思っていると、Kindle Unlimitedで光文社古典新訳文庫というものに出会って、古典を読み返してみようかと思うようになった。あまり難しくないやつね……。

 

まずはサン・テグジュペリの「ちいさな王子(星の王子さま)」を子どもに読み聞かせしている。

 

その後、トゥルゲーネフ(ツルゲーネフ)の「初恋(はつ恋)」を読んだ。主人公が恋焦がれるジナイーダは、いろいろな男の心もてあそぶ自由奔放な女の子で、その彼女に翻弄される主人公の心が繊細に描写されている。他のなにもかもがどうでもよくなったり、嫉妬したり、怒ったり、かといえば彼女に優しくされて幸せに包まれたり。

 

例えば傷ついた心のうちをこんな風に表現する。

私が咲かせていた花は、ひとつ残らず、あっというまにもぎ取られ、足元に投げ捨てられ、踏みにじられてしまったのです。

そういった表現がちりばめられているのは、とても美しいと思うし、そこに身をゆだねていてとても気持ちがいい。

この長い別れのキスが探し求めていた相手はだれなのか、それは知る由もありません。

ジナイーダに情熱的なキスをされたものの、彼女は誰か別の人に恋をして、それがそれほどうまくいっていないと知っているからこその、複雑な思い。

 

今は、ヘッセの「車輪の下で(車輪の下)」の初めのほうを読んでいるけど、主人公の不安や、自尊心におぼれているようすが、主人公の心の中に入ったかのように描写されていて、自分の体全体で経験しているような感覚を覚える。

 

また、草花や自然の様子がていねいに書かれていて、草木の名前はあまりわからないけど、そういう情景が目に浮かぶのは美しいと思うよね。

「やさしさとかで盛らないフラットな人」

私のことを「やさしさとかで盛らないフラットな人」と形容してくれた人がいた。

 

そんな風に言われたのは初めてだけど、心がけていることを言ってくれたようでとても嬉しかった。

 

「やさしさで盛る」という言葉を初めて聞いたけれど、それはどういう意味だろうか。まだ実力不足の人に「やればできるよ!」って励ますとか? まだできていないのに「うまいね!」って言うとか? そういうことなのかもしれない。

 

できていない人に「できていないね」と指摘するのはなかなか難しい。相手が傷つくだろうし、言う方も嫌だ。だからつい、「できてるよ」なんて盛ってしまう人がおおいのかもしれない。ただ、私だってできていない人に「できていないね」なんて言うわけではない。では、なぜ盛らなくても大丈夫なのか? 

 

それは「人の長所を見つけるのがうまい」んだと思う(たぶん)。本当に素敵なところを抽出すればいいから、その人のできないところにわざわざ「盛る」必要がないんだと思う。

 

なぜ素敵なところを抽出できるかというと、言葉に頼っていないからだと思う。その人のよさを感じたら、まずその「感じ」を捕まえて、あとからフィットする言葉を探す。言葉ありきじゃないから、パターンにはめる必要もない。

 

そんな風に思ったのでした。

「本」との付き合い方

「本が読めなくなったな~」と思う。

「読みたい」と思っても、その本を読み進められない。時間を取ろうと思わないし、時間をとっても集中できない。

音声で聞いてみる

そこで、ながらで聞けるオーディオブックや、Alexaアプリの読み上げ機能を使ってみた。これはいい。集中力がなくても聞けるし、どんどん進んでいくし、話半分であっても、読まないよりはましだろう。

 

すごくいいなあと思いながら聴いていた。

読みたい本が減ってきた

ふと気が付くと、「あまり読みたい本がないな」と思うようになってきた。どれを読んでも同じなのではないか。ビジネス書はどこかで聞いたことの焼き直し。なるほど! と思っても「改めて考えるとそうだよね!」ということばかりで、全く新しい新鮮な知識というものにあまり触れていない気がする。これが大人になるということなのか……! いやまさか、世の中はこんなに知らないことであふれているのに!

 

本と言うのは、読めば読むほど読みたくなるものであるのだ。これまではそうだった。読みたい気持ちが減るというのは、触れている本が自分に合っていないのではないか。

 

聴くだけだと、本の良さを少ししか享受できないのではないか……。

昔読んだ本を開いてみる

森博嗣さんを好きになるきっかけとなった『喜嶋先生の静かな世界』をぱらぱらと開いたことがあった。なんと、すらすら苦もなく読める。苦もなくというか、読んでいてものすごく楽しいのだ。読書体験とはこういうものであるはず。楽しい時間のための読書だ。

森博嗣さんの文章があまりに読みやすいということもあるだろうけど、これまで読んだことのある本を再度読むというのはいい。だいたい内容を忘れているのに、一度踏みしめたことのある道をもう一度歩く歩きやすさがある。

あとは、文体に合わせた雰囲気のなかにどっぷりと身をゆだねることができる。オーディオブックは、読む人の声の雰囲気にのまれてしまうが、文章はそうではない。作家の文体に身をゆだねながら、自分で作り上げた世界に浸れるのだ。

もっと読みたくなる

そんなわけで、一度読んだことのある本をもう一度読んでみようと思っている。Kindleで購入したライブラリを見ると、再度読みたい本が結構ある。また、紙で買って手放した本も、もう一度Kindleで買ってみるとよいかもしれない。

読書って勉強のために読みたいと思うことが増えているけど、楽しみのために読んでみよう、と最近思ったという話。