文章の優劣についてよく考える。
うまい文章が、優れた文章だとは限らない、と思う。
子どものように稚拙な文章でも心打たれるものがあって、
いくらテクニックを磨いても、そういうのには勝てない。
「ここの助詞がなってない」なんて指摘するのは簡単だけど、
あまり意味はない。
ただまあ、同じような内容を書くなら、
途中で読者に「この書き方ヘンだな」って思わせない文章の方が、
よりまっすぐに何かを伝えられると思うし、読者にストレスも与えないと思う。
文章の技術っていうのはおそらくその程度のもので、
でもそれができる/できないってところがプロとアマの違いだとも思う。
繰り返すけど、アマチュアの方が優れた文章を書くこともある。
時に、打率が高い人もいる。
フォームはメチャクチャだけどやたら打つ、って感じの人だよね。
変わったフォームを武器に、プロになっていく人もいるんだろう。
でも私は残念ながらそういうタイプではなかった、たぶん。
森博嗣botっていうTwitterアカウントがあって、
このブログにちょいちょい出てくる小説家・森博嗣さんの書籍から(おそらく勝手に)引用してツイートしているアカウントなんだけど、
こんな文面があった。
目さえ良ければ、手の技術が少々未熟であっても、いつかは完全なものに近づける。手がいくら技術を持っていても、測定が正しくなければ精度は上がらない。ちょっとした観察や感触から、どこに問題があるのかを見抜く目が大事な技術だ。理解するのにちょっと時間がかかった。
ふむふむ、でも理解はできる。
そこではたと気がついた。
目=文章を読む(判断する)力
手=文章を書く力
と読み替えてみてはどうか。
なんだか、自分が励まされた気がした。
たぶん私は、手の技術はもちろんなんだけど、見抜く力もずっと磨いてきたのだ。
完全なる文章なんてないけれど、
少しでも、精度を上げるためには、絶対に必要な技術。
どちらかではだめ(というより、手の技術は二の次で)、
測定する力こそが、完成度を高める。
完成度の高い文章に価値があるのか、という判断はまた別。
・・・なんだけど、今までの技術は無駄ではなかったかもしれないな、という喜び。