Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

外から優位性が見えにくいスキルを磨く。好きなことしかできないから

人が話す「プロのライティング」をいろいろ聞く。私はそのどれを聞いても、自分には難しいなと思う。詳しく書くと、私のプロ意識が低い、みたいになってしまいそうなので、個別具体的に書くことは避けようかな……。

 

目立つ人のノウハウやスキルは極端だから、「そりゃ、それができればいいよね」と思うしかないし、その人はそれが好きとか得意でやっているのだから、私が同じようにしても同じパフォーマンスを出せるわけではない。

 

私は私なりの方法でベストを尽くしているわけだが、それが、なかなか外には見えづらい。

 

例えば、「取材先の人についてめちゃくちゃ詳しい」「その分野について10年前から追いかけている」「雑談を含めて相手に気持ちよく話させるのがうまい」みたいなのは、インタビューアーの大きなアドバンテージだ。

 

ただ、どれも私には適していないやり方だと思うし、そこを目指そうとすると私の場合はよいインタビューにならない。だから、私は「わかりやすい優位性」ではない部分で、自分なりにベストを尽くしてきた。とても言語化しづらいことだ。

 

例えば大事にしているのは、「インタラクティブ性」。その場で生まれた疑問や質問、共感みたいなものを、大き目に活かしたい。私だからこの話が聞けた、というところを大事にしたい。経験上、用意していった質問ではたどり着けなくて、その場で反射神経を発揮して光るものをかぎ分けるほうが好きなのだ。だけど、これが誰にでも当てはまるとは思えない。かつ「これを引き出していただいてすごいです!」と言われても、短い時間内での偶然性もあるので自分の力ばかりとも言えない(何割か寄与していれば十分なのかもしれないけれど)。

 

他には「具体と抽象」。私は「自分や読者がイメージできるか」という観点でインタビューをする。抽象的なことなら具体的なエピソードを聞くし、具体的過ぎたら抽象化してもらう。そうしないとイメージができないからだ(イメージする、という言葉の定義もまた難しいけれど)。

 

別の言葉で言うと「ぴんとこない」という部分になる。ぴんとこないのは、「よくあるありふれた話や言葉」とか「そのエピソードで何が大事だと思っているかわからない」など、その人のオリジナリティが見えないとき、なのかな。逆に個性的すぎても読者から見てぴんと来ないので、共通点や普遍性を見つけることに注力する場合もある。

 

ライティングで言うと、私は相手が言っていないことはほぼ書かない。書くとしたら第三者的文章で書く。お付き合いが長く、相手との信頼関係ができてきているなら、最近は書くこともあるが、そうじゃない限り勝手に私の想像を載せたりしない。私が想像できることなど、その人の本当の想いに比べたらまったくもって陳腐だと思うから。でもこれも、人による。相手が言っていないのに、ドンピシャで相手の気持ちを書ける人もいるらしい。少なくとも私は今のところ、そうしないということだ。

 

自分のことがいろいろわかってきたが、私は好きなことしかできないのだ。「これを磨いた方が仕事に有利」と言われても、興味がないとそれができない。だから学校の勉強もぼちぼちだったんだろう。好きな教科しかできない。

 

私は暗記以外のだいたいのことがある程度は得意だが、得意とやりたいはあまり関係がないし、やりたいことじゃないと成果が出ない。