私がどれくらい器用かということは、
小学校の成績が物語っている。
お勉強が全部できたって人はたくさんいるだろうけど、
体育も美術も音楽も・・・っていう人はもう少し少ない。
毎年リレーの選手
マラソンの順位一桁
展覧会の入選や特選
読書感想文の学校代表
合唱会のソロパート
俳句の入選や特選
のように、
習いごとなどで誰かに先を越されていることでなければ、
つまりスタートラインが同じなら、ほとんどよくできた。
ここまでは、私のある種褒められない「器用さ」の証明っていうだけで、
中学校になったらそれほど優秀でもなくなっていたし、
それこそ体育大好きなスポーツ少女って感じで、どんどん普通の人になっていった。
本当にスゴイ人は、天才性だけでそのまま大学までいっちゃうんだろう。
大人になると、自分が凡人であることを、なかば器用なせいにしているところがあって、
そのせいで選択と集中ができないんじゃないかって、ときどき考えてみたりする。
だけど新しいことを始めたいなって思うことが最近結構あって、
そういうときに持って生まれた器用さがとっても役に立って、
もともとの器用さに感謝する、今日この頃なのでした。