Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

なにごとも放り投げずに生きよ

前のエントリーの続き。
私の話を聞いてくれたその人は、しばらくして「距離があるんだよね」「冷たい顔の静止画が残るわけ」と言う。
確かに、話の途中で目線を外して外を見たり遠くを見たりするのは私の癖で、そこで相手との距離ができてしまうのかもしれない。
だけど、そうしないと間が持たなくて、落ち着かないのだ。


結論は「恥ずかしい」ということ。
とにかくいろんなことが恥ずかしい。

恥ずかしいから外を見る。恥ずかしいから本音を言わない。
それをまずなくそうということになった。
ただ、完全になくなりはしない。「いいところでもあるからね」と何度も言われた。
でも、そのせいで生きづらいのなら、緩和したほうがいい。
だから少しずつ、恥ずかしさを克服する。


何かの行動ができないときに「傷つくのが怖いから」と私は何度も言った。
これまでだってそういう話を誰かにしたことはある。
そこで「誰だってそうだよ」「そんなこと言ってたら始まらないよ」みたいなことを何度言われたことか。本当に、何度も、嫌ってほど、悪気なくスルーされてきたのだ。
私が人より傷つきやすいとしたって、そんなことは私をはじめ誰にもわからないし、証明のしようがない。
でもその人は私の目を見て「そうかあ」って顔をした。一呼吸おいて、次の言葉を発した。
その「そうかあ」の表情で、私がどれだけ救われたことか。


「こんな風にスルーされて傷ついた、でもそんなもんですよね」みたいなエピソードを話した後、
「ああ、わかった。なんかね、こういう感じなんだよ」
と、その場にあったふせんをポーンと机の上に投げた。
ふせんはテーブルに落ち、少しススーッとこすれて向こうへ進んだ。
「放り投げてるの。ぜんぶ」


筋力がないからだ、と言われた。筋力はあるつもりだったけど、セッターなのにトスが遠くまで飛ばない。それは筋力がないのかもしれない。
筋力以外でいうと、しっかり置くことに対する恐怖。
置きに行ったら、思ったところに置けないがために傷つくかもしれない。でも放り投げておけば「勝手に取ってね」と言えるし、相手に届かなくてもショックを受けなくていい。
期待をしなければ傷つかない。ちゃんと渡すことをしなければ、受け取ってくれないショックもない。


そんなわけで、私がこれまでの話の内容をメモしようと出したノートに、その人は「なにごとも放り投げずに生きよ」とへたくそな字で書きなぐった。


まだもう少しあるけど今日はこのへんで。