ずっと考えていたことを書こうとしたら、断片の集まりになってしまいました。
「だから何?」を恐れる大人
大人って、「だから何?」「それが何?」という反応を非常に恐れる。特に私は、そうだ。
だけどちょっとした心の引っかかり、ここに何かあるよね、という勘。
日常にはあふれている。
それを手にとってわざわざ人に見せても、なーんにもならない。
「だから何?」と言われておしまい。
子どもは「だから何?」ばっかり
子どもと一緒にいると、「だから何?」がどんどんあふれてくる。ぼくねー怪獣やっつけられるんだよ。
あの雲おいしそうだね。
ねえねえ妖怪メダル何枚持ってる?
この柵が取れちゃったらどうする?
カップとソーサーの違和感
会社の人たちと、ランチに行った。インドカレーのお店。ホットコーヒーを頼んだら、カップは円筒状のコーヒー用、ソーサーは紅茶用だった。
カップを持ち上げてコーヒーを飲んで、ソーサーに置いたら、凹凸がまったくフィットしない。
ひとくち飲むたびに、ソーサーにカチッとフィットすることを無意識に期待して、毎回裏切られる。
それがすごくおかしくて、これって「だから何?」だなあって思った。
同じ席にいたIさんO君に話したら、ちょっと笑ってくれた。
笑いになるのは、すでに「だから何?」ではなくて、一歩進んだ状態。
「だから何?」で終わってしまう気まずさはないから。
老舗オーディオメーカーのAVアンプ
リビングでラジオを聞くとき、AVオーディオ好きの夫が購入した老舗オーディオメーカーのAVアンプのスイッチをオンにする。ある日、下の息子がスイッチを押したがる。
何度も何度も、何度も何度も、押す。
じっと観察していると、押した瞬間から少しだけタイムラグがあって「カチカチ」っと違う種類の音が重なる。
なんて気持ちがいい。
メーカーの人はずっとAVアンプを作ってきて、気持ちのいい押し心地と、音とタイミングを計ってきたのだろう。
夫に話すと「なるほどね」と。
もし夫が感心したのなら、「だから何?」からこちらも一歩進んでいる。
やっぱり気まずさは少ないから。
子どもが好きな絵本
子どもが好きな絵本は、「だから何?」ってものが多い。だけど絵本だから、許されるのかな?
「はらぺこあおむし」は、青虫が食べ物を食べ過ぎて、その後葉っぱを食べたら元気になって、最後に蝶になる。
うーん、「だから何?」だなー。
絵本だから許されるんじゃなくて、「だから何?」ってものだからこそ、価値があるんじゃないかとか。
大人が意味を載せて絵本を作っても、子どもには響かない。
「だから何?」っていう、なんにも載せていないものだからこそ、そこに何かを見ているのではないだろうか。難しいな。
だけど大人にもあると思う。
やっぱり子どもに人気のある絵本はとてもいい。意味がないって部分でいい。
私もだんだん良さがわかってきた。
アートって、「だから何?」ってものばかり
アート、特に現代アート。「だから何?」ってものばかりじゃありません?
うん、まあ、それをまじめに何ヶ月もかけて作るのって普通の人にはできないよね。
という感想しか持てないもの多数。
でもそれでいいっていうか、だからこそいいんだと思う。思いたい。
そこにいろいろと解説が付いてくる。
読めば「だから何?」から解放されるから、ムズムズした気持ちも晴れる。
だけど、そういうことね、って固めちゃうことはちょっと面白くない。
ムズムズのままでいてもいいし、むしろそこでムズムズしない感性が欲しい。
川田十夢さんから知る、「だから何?」というもの
NHKの「ようこそ先輩」という番組。
著名人が自分の母校に行って、授業をするというもの。
AR3兄弟の川田十夢さんの授業はぶっ飛んでいた。過去に放送した猪子さんが全然まともに見えた。てかまとも。
川田十夢さんは、「余白を見つけてください。僕にとっての余白は校庭の汽車(その学校は校庭に記者が置いてある)です」と。
余白を見つけたら、写真を撮る。
空白はスペースだから限りがあるけど、余白は果てしない。そんな説明をして。
子ども達はなんとか写真を撮る。たぶん「ハテナ?」と思っていると思う。
消しゴムの子もいたし、桜並木の子もいた。
それを見ながら、想像してください、という。
物語を作れでもなく、思い出を語れでもなく、「想像してください」・・・あいまいすぎる。
子どもは黙ってしまう。そりゃそうだ。
で、作文を書いてもらうことにした。そこでようやく、少し進んだ。
最後には、ひとり1台のiPadを使って、ムービーを作成した。最後は授業らしくなった。
川田さんの「だから何?」の連続。
それが私には衝撃的で、子どもですら、何か意味がないと動けないんだと知った。
それなのに、「だから何?」ってことを、そのまま相手に要求しようとする川田さん。
だけど、そこにこそ何かがあるってことを知っているんだと思う。
「だから何?」はそのままでいい。何かに昇華させなくていい。
私がしばらく心がけようと思ったのは、「だから何?」っていうものを見つけ出したら、
そのまま大切にしていこうってこと。
意味を持たせようとすると、「意味がない」=「価値がない」のだと思ってしまう。
でもそうじゃなくて、「だから何?」ってことが存在しているだけで、けっこう価値があるんじゃないか。
どこかで、あれ、って思った。
「これって『だから何?』のひとつだな」って思った。
それだけでよくて、それをEvernoteに溜めてます。(まだあまり溜まってない)
バカリズムさんのネタづくり
バカリズムさんは、日常のあれって思ったことをネタにするらしい。
「都道府県の持ち方」っていうのがある。
日本地図を見ながら、「持つとしたらこうだなー」って考えていたらしい。
普通の人がそれを話したって「うん、だから何?」と言われてしまう。
それを意味のあるもの(笑えるもの)にできるって、なんてすごい職業なんだろう。
だからやっぱり、「だから何?」ってことを、どこかで使いたいとは思っているんだろうな、私も。
どうやったらそんな人になれるんでしょうね。