Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

技術と感性のバランスを考える

またもやSWITCHインタビューネタ。
この番組を愛しています。

オダギリジョーさんと、レディガガの靴を作っているデザイナー館鼻則孝さんの回。
期待度は中くらい。でも興奮度はマックスでした。

夜中に録画を見ながら、おもわずツイート。




キャリアのある俳優さん(オダギリジョーさんは来年40歳)がそんなことを考えるなんて。
まだ技術や知識のない若い人が言うならすごくありがちな感じする。
(「知識って意味ないっすよね」っていう若者は結構いそうだ)
でも技術を体得した人が言っているのを見たり読んだりしたことがあるだろうか。
(芸術の世界ではあるのかな? 館鼻さんは、ピカソを例に出していたから)

その言葉によって、バランスの悪いイスを手に入れたみたい。どっちに身体を預けても、安定しない。
むしろ身体を預けすぎてはいけない、みたいなね。
たぶん、そのイスでバランスを取ることができれば、とても美しいものができるのでしょうね。


おこがましくも、もうしかたないんだけど、自分に当てはめて考えてしまう。

ライターになったばかりの時、まず自分を殺すことから教えられた。
「自分を殺せ」と明示的には言われないものの、感じたことや自分の中にあるものを書くとバッサバッサと切り捨てられる。(そういう仕事しか任せてもらえなかった、ということもあると思う)
自分がこれまでに持っていたものなんて全く価値がなくて(思いも、感性も、文章を書くという技術的なものも)、ゼロから技術を習得しなくてはいけないんだと思って、そうしてきた。
(それが正しい道だと言うつもりはない)

いま10年経ってみて、ようやくある程度の技術を手に入れたという実感があって、自分の思いをいやらしくなく表せるようになったんじゃないかって思うことがある。


で、バランスについて考える。
オダギリジョーさんは、画家の藤田嗣治を演じる「FUJITA」という映画で、なるべく藤田嗣治のことを調べないでほしい、と監督に言われていたのだとか。
「調べることで彼に近づく技術」を封印するということだ。(と私は理解した)

番組を見たのは11/29で、今日は12/3。
その間、ずっと考えていた(もちろん他のことも考えてるけど)。
ふと、このブログのことを思った。
このブログは、構成も言葉選びもかなり稚拙だ。
読む人に理解しやすく順序を整えたり、もっとプロっぽい文章にしたり、そういうことはできるんだろうけど、整えることでなくなってしまうものが、確実にある。

だからあえてめちゃくちゃなままなんだよ、というのは後付けですかね。