
昨日書いたブログ(↓)は私にとっての世紀の大発見なんだけど(たぶん)、これを、口頭で誰かに話せるかというと、話せない。
口にしたとたん、別のものになってしまう。
文字ならいけるような気がするのに、なぜ口頭だとダメなのだろうか。
何か「恥ずかしい」という感情もある(もちろん文章としてブログに書くのも恥ずかしいのだけど、それは過去の経験から「恥ずかしくなんてない!」「恥ずかしいなんて言ったらはじまらない!」と思い込みながら書いている)。
「別のものになってしまう」と書いたけど、というより、しょせん伝わりきらないだろうという予測。
「うん、それで?」「だから?」となってしまうのが怖い。
私にとってはとても大切なものなのに、「だから?」という反応をされて、それでも正気でいられるほど私は強くない。
正気を装って「所詮大したことはないんだけどね(汗)」なんてエクスキューズをしなくてはならず、そうしたら、心と体がバラバラになってしまう。
口にする場合、何か結論や教訓めいたものが必要になる、気がする。
私にとって、この石ころがとっても大事だって気が付いたんだよ! すごく大事なんだよ! と話しても「そうなんだ」で終わるし、石ころなら「なんか意味ある感じがする」と思われるかもしれないけど「糸クズ」だった場合には「え、あ、そう」となってしまうのではないか。
「映画の感想が言えない」っていう私の性質があり、それが自分でずっと謎なんだけど、それは今回のことと近いのかもしれない。
「自分しかわからん魂を持ってることが、人間はもうたまらなく寂しいんですよね、孤独なんですよね」
と、話していた。
このフレーズに、涙が出そうになった。
大切なことを話すのもそうだし、映画の感想もそうだし、それを誰かに伝えたいと思った時に相手に伝わらなかったら、その瞬間私はひとりぼっちになってしまう。
文章なら、とりあえず目の前に人がいないので、その場で拒絶されることはない。
特定の場所で咲く花のように、いつか虫や鳥が見つけてくれたら幸いだけれども、もし見つけてくれなかったとしても、その場で咲いたことは嘘ではないのだから、それでいいような気がする。
でも、誰かに「あなたのために咲いたの」と渡した場合、その人が花粉アレルギーだったり、花に何の興味もなかったら、その花は孤独だし、咲いたことがまるでなかったことのようになってしまう。
ひとりぼっちになりたくないから、話せないことを、文章に書くんだろうね。