Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

発想とものづくりを一緒にやるってこと

猪子さんが出ていたEテレの番組。


「東北発 未来塾」1回目

「創造っていうのはさ、何か発想して、実際手を動かして、作りきる。最後は、作り切る。僕らは発想しながら、みんなで手を動かして作る。作りながら、また作り上がっているものを見ながら、発想していく。そういうことを繰り返して、作っていくんだけど。そういうのを全部含めて、創造、クリエーションだと思っているのね。」
作りながら、発想して、発想しながら作っていくというのは、最近すごく大事だと思うようになった。
前に猪子さんが「世界一受けたい授業」に出ていたときに言っていた内容のせいもあるかもだけど、「アイデアなんて1パーセントで、あとの99パーセントは、つくることが大事」みたいな。
出来上がったものをみて、大抵は「アイデアがすごい」って言うし言われると思うんだけど、本当はそうじゃなくて作りきったことがすごい。
作られずに終わったアイデアはごまんとあって、それに価値があるかというと、難しい。

もうひとつは、「神は細部に宿る」っていうじゃない。
その「細部」を担っているのは、つくる人。
イデアを出す人とつくる人が別だったら、アイデアの人は細部には関われない、基本的には。
その、細かいところを担っているからこそ、アイデアが出る、ってこともある。

森の見方と木の見方、両方知っている人は強い。
森だけ見てても、木だけを見ててもダメだと思う。昔は木を見ていたけど、今は森だけを見てるっていうのも、ちょっと弱い。

最近スタートアップ系のインタビューをいくつかして、いわばアイデアとものづくりを一緒にやっている人の話を聞いたわけ。
ほんの1時間のインタビューで、筋の通ったビジョンと、計り知れない世界観と、その人が持つ宇宙が垣間見える。
うわ、ものづくりって! ああ、なんてこと! と思った。

たぶん、大企業とかでこの製品の開発をしています、という人に対してはこういうことを感じないんじゃないかな、と思った(実際はわかりませんよ)。
実は単に「ものづくり」がすごいってわけじゃないんじゃないか。

たぶん、同時に発想をしていて、手を動かして、また発想して、って繰り返しているから、ものすごい迫力の世界がそこに現れるんじゃないか。
全体と、ディテールが、どんどん洗練されていくのだと思う。

で、いつものように自分を見る。
執筆というのは、細部をつくっていく仕事だと思う。
かつ、ある程度経験を踏むと、森が見えてくる。発想しながら書けるようになってくる。

私は書くことが好きで、どうしてもその作業を手放したくない。
それはただ単に「好きだから」ってだけなんだけど、もし意味づけができるとしたら、他の仕事をしつつもずっとディテールに触れているということが、なかなか大事なんだろうなと思うわけです。