「連絡が悪い」「コミュニケーションがなっていない」みたいな人を見て、
この人の何が足りないんだろう、と考えた。
根はとても優しい。思いやりのある人だ。
なのになぜ、そういう場面で活かせないのか。
おそらく、「想像力」なんだろうな、と思った。
- ここで連絡しなかったら相手がどう思うか。
- こういう返信をしたら相手がどう思うか。
- 相手がどんな気持ちでこのメールを書いてきているか。
- こんな対応をされたのは相手にどんな気持ちがあるからか。
そんなことをまず考えないし、考えてもわからない。
で。
想像力はどうやって鍛えるのかを考える。
やっぱり小説って効果あるんじゃないかなって思うんだよね。
理解する難しさ
想像力を養うために、映画やドラマはどうか。
映像だと、自分の経験と照らし合わせて感動するような気がする。
近しい経験のあることだと、より泣けるんじゃないかな。
つまり、経験したことがないと、そこまで感情移入できない、ような。
また、「とと姉ちゃん」を見ていて思ったけど、
大したギャグでもないんだけど、笑わせたいときにはBGMがポップになる。
だから「ああ、これから冗談を言うのね」ってわかる。
映画も、泣けるシーンで泣ける音楽を流して涙を後押ししてくれる。
なかなかにオートマチックだ。
見ている人に「難しさ」を与えない。
音楽は偉大だけど、想像力を養うためには邪魔なときもある。
小説は文字がただ羅列されているだけ。
時に、技巧的に改行を増やしてスピード感を表すこともある。
改行を増やして時間の流れを遅くすることもある。
ただ、基本的には文字のひと流れですべてを表現する。
読む人はそこに身を投じ、映画と同様かそれ以上の感覚を得る。
丁寧な心理描写
自分とは全然違う人の気持ちになる。
変なことを不思議がったり、おかしなことに興奮したり、怒ったり。
ものにもよるけど、映像のようにセリフや振る舞いだけでなく、心理描写まである。
一人称の小説(日本のものに多いのかな?)なら、なおさら心の奥底までわかる。
自分と違う価値観を持つ人の心の中まで教えてくれる。
映画は想像力や経験が試されて、
小説は想像力が鍛えられるのではないか。
という仮説ね。
思いやりって生まれつき?
「頼まれるとイヤとは言えない人」って、いるよね。
「イヤとは言えない」っていうと、本当はイヤなんじゃん!って思うけどそうじゃなくて、
人を助けることで自分が大変になるとしても、つい助けちゃう人。
そういうのって、生まれつきである(つまり遺伝子に組み込まれている)という記事をさらりと読んだ。
それはまだ人間では実証されていないとかだったと思うけど、
感覚的にはよくわかる。
私は人のそういう感覚を見て、羨ましいと思ってきたし、自分にはないとどこかでわかっていた。
だけどその分、想像力でカバーしていると思っていて、
これはテクニックという意味では決してないのだけど。
例えば、友だちとランチする約束をしていたんだけど、仕事が入ってしまった。
それを相手に詫びてリスケしてもらったら
「そんなに謝らないで」とか「謝りすぎ」とか立て続けに言われた。
(立て続けにリスケしたってことですいません)
それは心からなんだけど、なぜそんなに謝りすぎてしまうのかと言えば、相手の事情を想像しているからだと思うんだよね。
「私との約束があることで、他の約束を断ったりしているかもしれない」
「他の日はぜーんぶダメだけど、この日だけ何とか調整が付いたかもしれない」
それはいちいち相手(私)に言わないので、予定がリスケになると、どんな気持ちになるかなんてわからない。
だからまず、そういうことも想定して、謝る。
私自身は生まれつき優しいわけでもないし思いやりがあるわけでもないけれど、
そこをカバーするように生きてる。
生まれつき優しさや思いやりが備わっている人はもしかして、
まさに「ありのまま」で不都合がなく、むしろ想像力を養う努力を怠っているかもしれない。
私は優しさが足りないと思っているから、人の気持ちを理解しようと努力する。
そんなことを思ったここ数日。