私なりの、経験上の、「好き」とか「やりたい」を見つける方法を書いてみようと思う。
結論を先に言うと
「ちょっと好き」なことをどんどんやる
ってこと。それだけ。
でも、行動しなくてはいけないので言うほど簡単じゃないと思う。
「好き」や「やりたい」が見つからない人って、下記のような特徴があると思う(何を隠そう私がそうだった)。だから、ひとつずつ書いていく。
ちょっと好きなことはあるけど「大したことない」と思っている
読書は好きだけど、「読書家」ってほどじゃない。
テレビドラマは好きだけど「マニア」ってほどじゃない。
絵を描くのは好きだけど、全然上手じゃない。
とか。
すごく詳しい人とか、すごく上手な人を見ているから、自分を大したことないと思ってしまう。大したことなければやる意味ないと思ってしまう。だからやらない。
そうじゃなくて「楽しい」「好き」ってことが大事なのだから、そう思うことをやればいい。下手でも絵を描けばいい。誰かと比べなくていい。
描くことで、驚くほどの発見がある。やった人にしかわからない。絵を描く以外のことにも通じる発見がある。
発見があると、別の景色が見える。
別の景色が見えると、別のことがしたくなる。
それを続けていくと、私は人の顔を描くのが好きなんだとか、気持ちを表すのが好きなんだとか、ポーズを描くのが好きなんだとかわかる。
色鉛筆が好きだとか、ボールペンが好きだとか、水彩が好きだとかわかる。
で、もし見つからなかったら、それでもいい。何となく、ちょっと描くのが好きなだけでいい。
途中でやめてもいい。少ししてまた気になったら、またやればいい。
それで食おうと思うと大変なんだけど、ちょっとしたことができると重宝される。
例えば毎日YouTubeをめちゃくちゃ観てる、ってだけでも、そういう人はそれほどいないのでマーケティング的に重宝されると思う。
みんな生活が多様になってきたから、みんな希少性が高いのだ。
だから、ちょっとでも実は「大したことある」のだ。
「好き」という感情を見逃してしまう
実際、私たちは好きな感情を誰でも持っていると思う。
だけど、大切にしていないと、見逃してしまう。
「ご飯何でもいいよ」とか。
「仕事だから文句言わずにやる」とか。
「やるのが苦痛だけど深く考えない」とか。
「好き」という感情が日常的に現れてこないので、ときどき軽い「好き」が現れても見分けが付かない。
好きなことを小さくてもいいのでたくさんやっていると、生活に「好き」がたくさん現れる。
そうするとその中で「すごく好き」「ちょっと好き」の見分けが付くようになる。
「あーこれは、まじずっと好きになれるやつ」と瞬時にわかったりする。もちろん「好きじゃない」もすぐにわかる。
好きなことをしていない自分に慣れすぎている
「好きなことをしている」自分が、当たり前ではない状態だと、それが普通になってしまう。全く違和感がなく生活できてしまう。
さらには、好きなことばかりやっていると罪悪感すら覚えるようになる。
まず、そこから脱却したい。
小さな「好きなこと」をたくさんすると、「好きなことをしている自分」に慣れていく。「好きなことをしている自分」が当たり前になっていく。
そうすると、「ものすごく好きなことをしている自分」にどんどん近づいていく。
それはダイエットで「細いカラダになっている私」をイメージして、「痩せている自分が当たり前」になるのと同じような感じかも。
結論:「ちょっと好き」なことをどんどんやるとどうなるか
私、今「好きなこと」や「やりたいこと」であふれているように見えるみたいなのだけど、昔は全然書きたいものがなかった。
書くことが好きなんじゃないか、と思ったのは、日記だけはずっと続けてきたから。でもそれも毎日書き続けてきたわけじゃないし、何年も休んでいることもザラだし、それほど価値のあることとも思えなかった。
ただ、飽きっぽい私が唯一続けてきた(と言っても何度も言うように何年も休んだりするんだけど)のが読書と日記だった。
ただ、ライターになっても書きたいものが見つからず。
どうしていいかわからなかったのだけど、ある本を読んで影響を受け、好きなことを手当たり次第いろいろやることにした。
ピアノを習ったり(妊娠したので辞めた)、ポッドキャストを始めたり、短編小説を書いたり、下手なイラストを書いてみたり、ジャズダンスを習おうと検討したり(習わなかった)、こども哲学に足を踏み入れてみたり、作曲をしようとしてみたり(スタート前に挫折した)。
できるものだけやる。続かないものは辞める。辞めたことに罪悪感を持たない。
それだけで好きなことをちょっとずつやることになる。そうすると、「好き好き!」っていうことに触れたときにセンサーが反応するようになってきた。
仕事でも「ああ楽しい」とか「何それ楽しそう」っていうときに、わかるようになってきた。
そうすると、「好き」「楽しい」と思う方向に進めばいいので、割とラクになってくる。
「好きなことをしている自分があたりまえ」になると、無理なく生きられるというか。
好きじゃないことをやらなきゃいけない場合ももちろんある。でも自分をちゃんと納得させられるし、好きじゃないことが増えすぎたら対策をするように考える。
私の中では、それぞれの仕事がちゃんと色分けされて見えている。
ひとつに絞れなくてもいいと思う。リソースが分散されてしまうので焦る気持ちもあるけれど、私という人間はひとりなのだから、何となく芯は近いものがあるし、近くなくても組み合わせて何かしらできるような気もする。
今はいろんな好きなもの、取り組んでいるモノの共通点を見つけたり、横から後ろからの視点で眺めたりして、絞らない方がいいのだろうと思っている。