TakramのPodcastを聞いていて「理系と文系にどちらに進むか迷ったとき、『理系の学者が文系の学者になることはあるけど、逆はない』と思って理系へ進んだ」と言っている人がいた。
確かに。なぜなのか。文系の学者が理系に比べて簡単だというわけではないだろうけど、おそらく性質が違うのだ。
似てるのかな? と思ったのが、「クリエイターはディレクターになれるけど、逆はない」ってこと。クリエイターっていうのはものづくりをしていて、さらにプロフェッショナルな人ってことね。デザイナーとか、プログラマーとか、かな。
共通点があるのかないのか。
「AはBになれるけど、BはAになれない」
と言うときのAに共通するのは、Aになるまでに圧倒的な時間の量(つまり修行期間)が必要だってことなんじゃないか。
プロフェッショナルなデザイナーは美術学校を出ていたりするし、プログラマーはやっぱり「使えない下積み時代」を経ていたりする。何を隠そう私もライターとして「書けるようになったな」と思うまで実は5年以上かかっている(それまでお仕事でギャラをもらっていてスミマセン、って感じ)。
理系の学者は、文系の学者に比べて「知らなきゃいけない」ことが圧倒的に多くて、それには大量な時間が必要なんじゃないか。
かたや、Bって感覚的なものが大きいような気がする。センスや感覚があれば、割とすぐにできちゃう人がいる。あるいはそれがなくても何となくできた風に見せることができる。絶対にこのスキルがこれくらいできなきゃダメ、みたいな指針が少なそう。感覚とかセンスが大きいから、そもそも絶対になれない人もいる。「マネージャー業が全然できない元技術者」とかが、たぶんそうだ。修行期間の有無ではないのだ。
だから、Bだけで過ごしてきた人は、Aの価値があまりわからないし、Aのひとは「ひょい」といろいろやってのけてしまうBの人を疎ましく思う。
そんな仮説を立ててみたんですが、どうかな?