人工知能のテレビ番組を見た
私の界隈(主にFacebookとTwitter)で話題だったので、全録で見た。
私はそもそも将棋の複雑さを知らないので、「ゲームがあってルールがあって、記憶を大量にすれば勝てるんだろうから、コンピューターが勝つに決まってるじゃないの」って思ってて、それがどうして今の今までかかるのかしら? という方を不思議に思っていたくらい。
人間の世界はもっともっとあいまいなことで溢れていて、人間はそれをほぼ瞬時に判断しているわけで、かっちり決まっていることで人間に勝つのがこんなに大変なら、コンピューターもまだまだなんだろうな、って思っていたわけです。
でも番組を見たら、アルゴリズムを与えればいい、というほどの簡単なものではなくて、これまでのありとあらゆる対極を学習して、さらには自分を相手に想像を絶する数の対極を進めて、知能を高めていくらしいのだ。
これは人間にすごく似ていないか。
人工知能と感情の話
つい先日読み終わった本は、人工知能が当たり前になっている世界の話。
引きこもりのようにずっと考え続けていたコンピュータが世に出てきたときに、人を思いやったり、気遣ったり、意地を張ったりするようになっていた、という話。
人がパラメーターを与えなくても、果てしのない数の学習によって、コンピューターが感情を獲得するようになるのかしら、なんてことを考えた。
人間が新しい人工知能を生みだすんじゃなくて、コンピューターがじっと考え続けて何かに変わっていく。そういうことなのかな。
ゴールをどこに設定するか
番組の話に戻って。
人工知能は、与えられたゴールに従って最適解を提案する。例えば、「タクシーが客を拾う確率が高い道」「離職しやすい社員」「将棋に勝つための一手」など、それはゴールが明確にあるわけだ。
だけど、番組の中で出てきた韓国の話で、人工知能が政治の政策を提案する、という事例については、ゴールが明確に言われていなかった。果たして政治のゴールって、何なのだろう。経済を発展させること? できるだけ幸せな人が多いこと? 不幸な人をなくすこと? ゴールの設定を間違えると、人工知能が導き出す回答も間違いになるだろう。
ただ「間違い」って言ったって、はたして正しいゴールなんてあるんだろうか?
で、こんなツイートをしたんだけど、
人工知能の中身はブラックボックスになりつつあるというけど、ゴールは誰かが与えていて、そこに行き着くための最適解を出す(と私は理解している)。だけど人間は自分の人生のゴールなんて決まっていなくて、探すところから始める。むしろゴールを探すために生きているんじゃないか。なんと効率が悪い
— Emi Tochio(栃尾江美) (@maliu63) 2017年6月27日
でもね、最終的には人工知能にゴールを決めてもらった方がいいんじゃないのかなとか。思うわけですよね。
でも結局は、「自分が」幸せになることがゴールになるのかな? どうなんでしょうね?