Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

子どもや若い人たちに関わっていきたい

何かに興味を持つきっかけはさまざまだ。ある意味、興味を持った時点ではそれぞれがフラットで、自分にマッチする度合いや、その対象物に触れている間の充実感によって深さが変わってくる。

 

興味を持ち、知ったり関わったりするうち、もっと深く関わりたくなっていく。

 

私はいま、子どもや若い人たちに関わりたいと思っている。

自分が何かに貢献している気がするし、日本や人類の未来を担う人たちであるし、ひいては私の将来も、若い人たちにかかっていると言っても過言ではない。

 

自分の子どもだけでなく、ゲームdeコーチングという事業を通じた小学生くらいの子どもと大学生。また、中学生ののバレー部指導。本当は、もっともっと関わりたい。

 

自分の子どもと暮らしたり、中学生のバレー指導をしたりしていると、ときに「自分で頑張る方がよほど簡単だ」と思う。

 

そりゃそうだ。自分なら意味があると思うことを頑張るし、自分なら自分で好きなように動かせる。でも人を動かすのはなかなか難しい。動かすというより、動いてくれるのを待つという感じだ。子どもと一緒にできたらいいな、と思った英語の勉強も私一人で続いているし、バレー部の子たちに基礎練習してほしい、と思いながら自分が基礎練習している。

 

でも、私がどれだけ頑張っても、成長はほんの少し。油断したらまたすぐに逆戻りしてしまう。

 

だけど、子どもたちはそうではない。あんなにやる気なさそうにしているのに、ある時急にできるようになっている。子どもというのは、成長をさだめられた生き物なのだ。成長したくなくても成長してしまう。そのポテンシャルを最大限にするのが努力である、というだけのことだ。つまり、努力しなくても成長する。

 

成長したくてうずうずしているかのような芽吹きを、少しでも大きく広げられたらいいと思う。彼、彼女らの進む選択肢がすこしでも広がり、彼・彼女たちにとってよきものになるとよいと思う。

 

もちろん、彼・彼女たちは私が関わらなくても成長する。だから、彼・彼女たちのためではなく、これはどちらかというと私のための活動なのだ。成長せざるを得ない彼・彼女たちの恩恵に、少しでもあやかりたい。「私もいっちょかみさせて」という、そのような気持ち。大きく育っていく樹木の年輪に、私が関わった印がほんの少し残っていたら嬉しい。

 

さらに、社会に貢献しているような気持にもなれる。私自身が社会とつながっている気持ちになれる。それは、彼・彼女たちがこれから世界と大きくかかわっていくからだ。まったく想像もしない分野で、彼・彼女たちは活躍していくだろう。私は彼・彼女たちを通じて、世界とつながっていると思える。

 

つまり、若くて可能性のある人たちが大好きだということです。