友人の編集者に「自信がない」的な相談をしたらとても繊細な美しい言葉で励ましてくれた。
ことばを生業としている者同士、ある意味とても細かいところでぴたっとはまる感覚がある。
以前別の女性編集者と話していた時にも同じ感覚を得た。
こういうことを言うととても高慢なのかもしれないけれど、普段私はいろいろな人と同じ日本語を使っているように見えて、それは同じ日本語ではないのかもしれない。
例えば、草野球の選手とプロ野球の選手が一緒に野球をする場合、ゆるくプレーすればそこそこ楽しいかもしれないが、ガチの試合ではやはりちぐはぐになるだろう。
文章を仕事とする者同士が言葉でやりとりをすれば、ある種特殊な空気が生まれるのは当然のことなのかもしれない。
友人に教えてもらったのは「自分を励ます言葉を持つ」ということ。そしてそれは、できれば揺るがないファクトだといい。
彼女は、文章の修行に掛けた年数を自分の自信にしていると言っていた。
私もかけた年数はある。とても苦しんで暗いトンネルの中をはいつくばってきた。でも、そこに重きを置かずにいるような気がする。実力とはそれとは関係がないと。
でも、それしか拠り所にするところはないのかもしれない。
もっと自分を評価して、修行してきた自分に自信を持ちたい。