ある友人から、
「この人はガラス細工のように繊細な人だ」
「常に悲しみをまとっている」
とずっとずっと思われていた(今も思われているのかな?)らしい。
何をもってそう感じたかと聞くと
「書いているもの全般」だというのだ。
Twitterや、ブログ、コミュニティ内のSlackや掲示板。などなど。
その友人Yは、自分を「気さく」だと言い、「繊細なとっちー」を傷つけてしまうのではないかとすごく気を使っていた(あるいは近づいてはいけないもののように感じていた)という。
その人がそう思っていた当時、私はかなり元気な分人が前に出ていたし、「こんな気さくな人初めて」と言われることもあった。それくらい、自分の中では「元気いっぱいなキャラ」だったころ。
そんなときに、彼女が私の中にありありと「悲しみ」を見出し、「壊れそうなほど繊細」と感じていたものは何だったのだろう。
そんな風に言ってくれる人は多くはなくて
「悩みなんてないだろう」
「とてもしっかりしているから」
「何でもできるから(図太そう)」
みたいに言われることが多い。
だからとても不思議な気がしたし、私の見えない部分を見てくれた、という喜びを感じた。
子どものころから「わかってもらう」ことを放棄していて、
自分の考えていること(の一部)は人に言ってはいけないこと(言ったらバカにされること)だと思っていた。
「こんなこと人に言えない」という悩みすらなかった。言わないものだと思っていたから。
でもそうやって、言わずとも感じてくれる人がいるっていうのは、とても運がいいのだと思う。